こころ
こころ
1 作者简介
夏目漱石(なつめ そうせき,1867年2月9日~1916年12月9日),本名夏目金之助,笔名漱石,取自“漱石枕流”(《晋书》孙楚语),日本近代作家,生于江户的牛迂马场下横町(今东京都新宿区喜久井町)一个小吏家庭,是家中末子。
夏目漱石在日本近代文学史上享有很高的地位,被称为“国民大作家”。他对东西方的文化均有很高造诣,既是英文学者,又精擅俳句、汉诗和书法。写小说时他擅长运用对句、迭句、幽默的语言和新颖的形式。他对个人心理的描写精确细微,开启了后世私小说的风气之先。他的门下出了不少文人,芥川龙之介也曾受他提携。他一生坚持对明治社会的批判态度。1916年12月9日,夏目漱石因病去世。
本作发表于1914年4月-8月。
2 先生と私
前略
1~15
- 推測 すいそく 推测;猜测;估计;臆测。 推測どおり。 これは私の胸で推測するがものはない。
- 峯 峰 みね 峰,山峰,山顶。 ただその告白が雲の峰のようであった。
- 厭世 えんせい (世の中をいやなもの、人生を価値のないものと思うこと)
- 忙しない せわしない せわしなくごはんをかきこむ。
- 宵の口 よいのくち 天刚黑、天黑不久。(日が暮れて間もないころ。) 盗難は宵の口であった。
16
- 断る ことわる 预先通知;事前请示;事先说好。 一応事前に断ってください。 谢绝;拒绝;推辞。 だが、断る。
- 領する りょうする 领会。〔承知する。〕
- 鹿爪らしい しかつめらしい 郑重其事的。一本正经。 そうして客に来た人のように鹿爪らしく控えている私をおかしそうにみえた。
- 別段 べつだん 并(不)。特别、尤其。((多く下に打ち消しの語を伴って)特別。とりわけ。) =別に 別段けがはなかった。 別段変わったこともない。
- 緒口 いとぐち 头绪,线索,端绪,开始,开端。 事件解決の緒口。
17
- 仕掛ける しかける 开始做,着手。(始める。) 夕食の準備をしかけたところで電話が鳴った。 挑衅,寻衅。 喧嘩を仕掛ける。 戦争を仕掛ける。
- 開き直る ひらきなおる 突然改变态度;将错就错。 こうなったらもう開き直るしかない。彼は急に開き直って事実を否定した。
- 嫌う きらう 讨厌。 彼はみんなに嫌われている。 彼は女性と話すのを極端に嫌う。 極端 きょくたん
18
- 青年 せいねん 憧憬 どうけい 臨む のぞむ 面临,面对。临面,遭。 漠然 ばくぜん 含混,含糊;笼统。 反撥力 はんぱつりょく
- 私は女というものに深い交際をした経験のない迂闊な青年であった。男としての私は、異性に対する本能から、憧憬の目的物として常に女を夢みていた。けれどもそれは懐かしい春の雲を眺めるような心持で、ただ漠然と夢みていたに過ぎなかった。だから実際の女の前へ出ると、私の感情が突然変る事が時々あった。私は自分の前に現われた女のために引き付けられる代りに、その場に臨んでかえって変な反撥力を感じた。
- 及び および = 並びに 和,及,与,以及。
19
- 頭脳 ずのう 奥さんは私の頭脳に訴える代わりに、私の心臓を動かし始めた。 訴える うったえる 申诉,诉说,呼吁。
- 蟠り わだかまり 芥蒂,隔阂。 自分と夫の間には何の蟠りもない。 互いに何の蟠りもなく話し合う。
- 断言 だんげん それは事実だとわたしは断言する。
- 変死 へんし 横死,死于非命。(事故死・他殺・自殺など、ふつうでない死に方で死ぬこと。) 実は変死したんです。
20
- 疑惑 ぎわく 奥さんの不安も実はそこに漂う薄い雲に似た疑惑から出て来ていた。
- 覚束無い おぼつかない 可疑,靠不住,没有把握,几乎没希望。 成功は覚束無い。
- 今しがた いましがた 今しがた帰ってきたところだ。 今しがた奥さんの美しい眼のうちに溜った涙の光と、それから黒い眉毛の根に寄せられた八の字を記憶していた私は、その変化を異常なものとして注意深く眺めた。
- 張り合いが抜ける はりあいがぬける 泄气。 小路 こうじ
- 凌ぎ しのぎ 忍受,应付。 一時しのぎ。 結句 けっく 反而;倒是。 子供のない奥さんは、そういう世話を焼くのがかえって退屈凌になって、結句身体の薬だぐらいの事をいっていた。
- 格別 かくべつ 特别,特殊,格外;显著。 秋が暮れて冬が来るまで格別の事もなかった。
21
- 今が今 いまがいま 迫在眉睫 ,十分火急 ,刻不容缓。 今が今帰ったばかりだ。
- かねてから 从很早以前就。 父はかねてから心臓を病んでいた。
- 吹聴 ふいちょう 吹嘘,宣扬。それは吹聴するほどのことではない。
- 真っ平 まっぴら 无论如何也。 真っ平許さない。
- 汽車 きしゃ 私はその晩の汽車で東京を立った。
22
- 胡座をかく あぐらをかく 盘腿坐。 うちの猫は私があぐらをかくと必ずそこに乗り込んで寝ます。
- 不承不承 ふしょうぶしょう 勉强答应,勉勉强强。不得已而为之。 不承不承仕事を引き受ける。 引き受けてはくれたが、不承不承であることが表情から読み取れた。
- 仰山 ぎょうさん 很多。夸张。 お母さんがあまり仰山な手紙を書くものだからいけない。
- 極 ごく 常用假名。 非常,极;至,最。 私はごく普通の男子高校生だ。
- おいそれと 轻易地应承下来。后面多接否定。副词。 これも急場の間に合うように、おいそれと呼び寄せられる女ではなかった。兄妹三人のうちで、一番便利なのはやはり書生をしている私だけであった。 急場 きゅうば 紧急场合,紧急情况。 書生 しょせい
23
- 無精 ぶしょう 懒散;不想动。 無精者。 懒汉。
- 将棋 しょうぎ 象棋,日本象棋。 将棋盤 しょうぎばん
- 言うまでもない 当然,不待言,不用说。 彼らがたいそう喜んだことは言うまでもない。
- のつそつ (无事可做)闲得慌;难受。
- 一様 いちよう 心持 こころもち 心情,心境。(気持。気分。心地。) これは夏休みなどに国へ帰る誰でもが一様に経験する心持だろうと思う。
24
- 懇意 こんい 恳切的心意,好意。
- 特色 とくしょく 自分で病気にかかっていながら、気がつかないで平気でいるのがあの病の特色です。
- 親父 おやじ 对父亲、爸爸的昵称,老头儿,老子。(父親を親しんで呼ぶ語。)
- 細君 さいくん 内人;老婆;平辈以下的人的妻子。(「自分の妻」の謙称。他人の妻。同輩以下に使う。) うちの細君にも手伝わせよう。
- しかし人間は健康にしろ病気にしろ、どっちにしても脆いものですね。いつどんなことでどんな死に様をしないとも限らないから。
25
- 是非とも ぜひとも 一定,无论如何,务必。(どうしても。必ず。)是非ともきてほしい。 是非ともご出席ください。
- 時日 じじつ 日期,时间,日子。 二、三、四と指を折って余る時日を勘定してみた時、私は少し自分の度胸を疑った。 うたがう
- 書物 しょもつ 书,书籍,图书。 快い こころよい 高兴;愉快;爽快。 先生は自分の知っている限りの知識を、快く私に与えてくれた上に、必要の書物を、二、三冊貸しそうといった。
- 毫も ごうも 丝毫也(不)。(少しも。ちっとも。あとに打消しの語を伴って用いる。)毫も疑わない。
- そぞろ 不知不觉地,不由得。=思わず そぞろに口を開いた。
- 度胸を据える どきょうをすえる 壮起胆子,鼓起勇气。 心を落ち着け、度胸を据える。
26
- 八重桜 やえざくら 八重樱,重瓣樱花,牡丹樱。山樱等自生于日本山野的樱花类的栽培园艺品种,花为八重瓣的樱花。
- しきりに 频繁地;屡次,再三;不断地,不停地;一直地。 頻りにうなずく。
- 些か いささか 略,稍微,一点儿。 この件については、些かも不服はありません。
- 拍子抜け ひょうしぬけ 败兴,扫兴,沮丧。 些か拍子抜けの気味であった。
- 宛もなく あてもなく 没有目的地,漫无目的地。 村とも町とも区別の付かない静かな所を宛もなく歩いた。
- 人影 ひとかげ あやしい人影が見えた。
- 若葉 わかば 嫩叶,新叶。 私は私を包む若葉の色に心を奪われていた。
27
- 所々 ところどころ 这儿那儿,有些地方。(あちらこちら。) 所々に雪が残る。
- 疑る うたぐる = うたがう 私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。
- 絶えず たえず 不断;经常,无休止;=いつも その後もこの疑いは絶えず私の胸を去らなかった。
- 内輪 うちわ 低估,保守。 内輪に言っても。 内輪に暮らす。
- あたじけない [文]小气的,吝啬的,寒碜的。 = ケチ
- 為替 かわせ 汇兑,汇款。 月々国から送ってくれる為替と共にくる簡単な手紙は、例のとおり父の手蹟であった。
- 結び付ける むすびつける 联系,挂钩。使发生关系。(関係づける。) 先生の言葉の底には両方を結びつける大きな意味があった。
28
- 注意を払う。 给以注意。 私は先生の言葉に大した注意を払わなかった。
- しかし人間は死ぬものだからね。
- 達者 たっしゃ 精通;熟练。 口の達者な男。 壮健,健康。 どんなに達者なものでも、いつ死ぬかわからないものだからね。
- 弁解 べんかい 辩解,辩白。(言い訳をすること。言い訳。) 「そんなことをちっとも気にかけちゃいません」と私は弁解した。
- 悪人 あくにん 善人 ぜんにん 田舎者 いなかもの 乡下人。乡下佬,土包子。 親戚 しんせき
- 「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中に、これといって、悪い人間はいないようだといいましたね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」
- 勝手 かって 厨房。(台所。〕 勝手仕事をする。
29
- 談話 だんわ 結末 けつまつ 结果,结局。 先生の談話は、この犬と小供のために、結末まで進行する事ができなくなったので、私はついにその要領を得ないでしまった。
- 境遇 きょうぐう 境遇,处境,环境,遭遇。 私の性質として、また私の境遇からいって、その時の私には、そんな利害の念に頭を悩ます余地がなかったのである。
- 麗しい うるわしい うるわしい空の色がその時次第に光を失って来た。
- 枝 えだ 有難う ありがとう
- 無闇に むやみに 蛮干,乱来,做事不考虑后果。 だからむやみに汚して帰ると、妻(さい)に叱られるからね。
- 口を切る 先带头说话,带头发言。 私はついに先生に向かって口を切った。 = 口を利く。
- 宛かも あたかも 恰似,犹如,宛如;正好,正是。=まるで 人生はあたかもはかなく消える夢のごときものである。
- 君子 くんし 金さ君。金を見ると、どんな君子でもすぐ悪人になるのさ。 君子は人の美を成す。 君子は独りを慎む。 君子危うきに近寄らず。
30
- 業腹 ごうはら 怒火填膺。(非常に腹が立つこと。癪に障ること。)業腹な仕打ちを受ける。
- やっつける 干掉;杀掉;打败,击败。 = 倒す あいつをやっつけてやろう。
- 的外れ まとはずれ 离题,不中肯。偏离主题要点。 的外れな返答。
- 執念 しゅうねん 执着之念。复仇心。 執念深い しゅうねんぶかい 固执的,执拗。 執念深い男。 復讐 ふくしゅう
- いかな 尽管,连……也。 先生の口からこんな自白を聞くのは、いかな私にも全くの意外に相違なかった。
- 憎む にくむ しかし私はまだ復讐をしずにいる。考えると私は個人に対する復讐以上の事を現にやっているんだ。私は彼らを憎むばかりじゃない、彼らが代表している人間というものを、一般に憎む事を覚えたのだ。私はそれで沢山だと思う。
31
- 精出す せいだす 努力,鼓足干劲。 精出して遊ぶ。
- 間々 まま 有时,偶尔。 そういうことは間間ある。
- やしない やしません 接在動詞連用形后,表示“一點也不……;完全不……”。 わかっていやしなっかた。 私は何も隠してやしません。
- 教訓 きょうくん つらい体験がいい教訓になる。 よい教訓を得る。
- 腹の底 =心の中で思っていること。本心。 あなたは腹の底から真面目ですか。
- 増し まし (比)好〔强〕些,(与其……)不如(宁可)……;胜过,胜于。 ないよりは増しだ。 こんなものなら、ないほうが増しだ。 聞かないほうがましかもしれない。
32
- 評価 ひょうか = 評する 遠眼鏡 とおめがね 望远镜。
- 放り出す ほうりだす 抛出去,扔出去。(中途)放弃,丢开。(途中でやめる。) 一区切り ひとくぎり 一个段落。 私は式が済むとすぐ帰って裸体(はだか)になった。下宿の二階の窓をあけて、遠眼鏡のようにぐるぐる巻いた卒業証書の穴から、見えるだけの世の中を見渡した。それからその卒業証書を机の上に放り出した。そうして大の字なりになって、室(へや)の真中に寝そべった。私は寝ながら自分の過去を顧みた。また自分の未来を想像した。するとその間に立って一区切りを付けているこの卒業証書なるものが、意味のあるような、また意味のないような変な紙に思われた。
- 癇症 かんしょう 神经质;[怒りっぽい]暴躁脾气;[潔癖]有洁癖。 先生は癇症ですね。
- 精神 せいしん 私は精神的に癇症なんです。 我只是精神洁癖。
- 俗に ぞくに 普通,一般,俗话说。 俗にいう試験地獄。
- お目出とう = おめでとう
- 反響 はんきょう = 反応 全然反響がない。
- アイロニー irony 冷嘲,讽刺,挖苦,反话。(皮肉。)
33
- 給仕 きゅうじ 伺候(吃饭)。(食事や宴会の席などで,そばにいて世話をすること。また,その人。) お座敷でお給仕する。 自分で給仕の役をつとめた。
- 役人 やくにん 官员,官吏。公务员。 役人風を吹かす。摆官架子。
- 気触れる かぶれる 着迷热衷。(あるものの影響を強く受けて、その風(ふう)に染まる。) 新思想に気触れる。 少し先生にかぶれたんでしょう。
34
- 辞する じする 辞,告辞,辞别。(あいさつをして帰る。) 私はその夜十時過ぎに先生の家を辞した。
- 術語 じゅつご 术语,专门用语。 私はそんな術語をまるで聞かなかった。
- 笑い事 わらいごと 一笑了之的事。可笑的事情。小事一桩。笑一笑就过去的鸡毛蒜皮小事。それは笑い事ではない。
- どうせ助からない病気だそうですから、いくら心配したって仕方がありません。
- 私は父の運命が本当に気の毒になった。
- なぜでもない。
- 悲哀 ひあい 先生の死に対する想像的な悲哀が、ちょっと奥さんの胸を襲ったらしかった。
- 老少不定 ろうしょうふじょう 人の生命は予測しがたいもので、年齢の大小にかかわりがないということ。 黄泉路上无老少。
- 見当 けんとう 方位,方向。 出口はどこか見当がつかなくなった。 估计,推测,推断,猜测。 会費は5万円くらいと見当をつける。 大约,左右,上下,大体数量。=くらい 60見当の老人。 費用は1万円見当だ。
35
- そんな話はお止し(よし)よ。
- 横文字 よこもじ 横写的文字;西洋文字。 横文字の本。
- たわいない|たわいのない 一下子就,容易。无聊,无谓,不足道,糊涂。
- 寛ぎ くつろぎ 舒畅,舒适,轻松自在;余裕。 胃袋 いぶくろ 胃。 胃袋を寛ぎを与える必要もあったので、ただ賑やかな街の方へ歩いて行った。
- 某 なにがし 名前がはっきりわからないときや、わざとはっきりさせくないときに使うことば。/某某,某人。 田中某。 偶然で某に会った。
36
- 冒す おかす 冒,不顾。 雨を冒して外出する。 なん回も死の危険を冒した。 私はその翌日も暑さを冒して、頼まれるものを買い集めて歩いた。
- 億劫 おっくう 怕麻烦、不愿意做、懒得动。 ご飯を食べることも億劫に思う。 どんな仕事でも億劫だと思わない。
- 無為 むい 无所事事,混日子。(何もしないでぶらぶらしていること。) 無為に月日を過ごす。 私はこのひと夏を無為に過ごす気はなかった。
- 小僧 こぞう 毛孩子,小家伙。小伙计,学徒。(少年店員。)
- 煩う わずらう (接在动词连用形下)苦恼,做不到,难以办到。(動詞の連用形の下に付いて、…するのに困る、の意を表す。) 言い煩う。 思い煩う。 苦恼,烦恼。(心の中で悩む。苦しむ。心配する。)
- 和製 わせい 日本造。(日本でできたもの。日本製。国産。) 和製英語。和制英语,日本造英语词。日本以英语单词为基础创造的类似英语的词。例如,“バス-ガール”、“ナイター”等。(日本で,英単語をもとに,英語らしく作った語。「バス-ガール」·「ナイター」などの類。)
- 矛盾 むじゅん 世間は矛盾だらけだ。
- 果敢ない はかない 可怜,悲惨。虚幻,不可靠。 果敢ない努力。 私は人間を果敢ないものに感じた。人間のどうすることもできないもって生まれた軽薄(けいはく)を、果敢ないものに感じた。
- けれども書いたあとの気分は書いた時とは違っていた。
3 両親と私
1
- 日除け ひよけ 遮日;遮阳光;遮阳光的罩篷;遮帘。 日除け帽。
- 裏手 うらて 背面,后面。建筑物等后侧的一面。 神社の裏手に小高い山が見える。
- 恐縮 きょうしゅく 不好意思;羞愧,惭愧。 いつもご面倒をおかけして恐縮です。 そうおっしゃられると、まことに恐縮です。
- 高尚 こうしょう 私には口で祝ってくれながら、腹の底で貶している先生のほうが、それほどにもないものを珍しそうに嬉しがる父よりも、かえって高尚に見えた。
- 去年 きょねん 昨年 さくねん
- 証書 しょうしょ 证书。 卒業証書。
- 逆らう さからう 违背,背逆,违反。 風に逆らって進む。 規則に逆らう。
- 自由 じゆう 随便;任意。(他から影響・拘束・支配などをうけずに、自らの意志や本性に従っていること。また、物事が思うままになるさま) この馬はわたしの自由にならない。 なかなか父の自由にならなかった。
2
- 気性 きしょう 秉性,脾气,性情。 気性がやさしい。 彼の気性としてそんなことはできない。
- 満更 まんざら (下接否定语)(并不)完全…(未必)一定。まんざらでたらめというわけでもない。 満更母ばかり責める気にもなれなかった。
- 心得 こころえ 经验,知识,心得,体会。 ピアノにはいささか心得がある。 规则。(承知しておくこと。)夏休みの心得を話す。 受験の心得。 生徒心得。
- 心得る こころえる 懂得,明白,理解,领会。 畢竟|必竟 ひっきょう 俺の体は必竟俺の体で、その俺の体についての養生法(ようじょうほう)は、多年の経験上、俺が一番良く心得ているはずだからね。
- 一期一会 いちごいちえ 源自茶道心得。意为参加茶道会时,应想到其机会在一生中只有一次,主客皆应诚意。一生只出现一次的茶会。(茶会の心得から。利休の弟子宗二(1544~1590)の「山上宗二記」に「一期に一度の参会」と見える。茶会に臨む際には、その機会は一生に一度のものと心得て、主客ともに互いに誠意を尽くせ、の意。一生に一度だけ出る茶の湯の会。) 一生一次,一期一会,机会难得。一生中仅一次的机会。 一期一会の縁。
- 剣呑 けんのん 危险。 剣呑性。 統計 とうけい 私は理屈から出たとも統計から出たとも知れない。
- 土 つち 土壤,泥土。陆地,大地。地面,地上。 祖国(そこく)の土を踏む。
- 或いは あるいは 或者,或许。也许,不然的话。(または。もしくは。でなければ。) あるいはそうかもしれない。 有时,一方面。 あるいは海山に遊び、あるいは勉学に勤しむ。
- なんぞ 等,什么的。(「など」の老人語。) お茶なんぞ飲んでいきましょうよ。
3
- 況して まして 何况,况且,更不能,更别说。 大人でも大変なのだから況して子供には無理だ。 更,更加。(いっそう。さらに。もっと。) これはまして困難だ。
- 苦痛 くつう 痛苦。(精神や肉体が感ずる苦しみや痛み。)
- 生涯 しょうがい 一生,终生,毕生,一辈子,终身。(人が生きている間。) 生涯忘れられない日。 生涯に二度とある事じゃない。
- 嫁 よめ 儿媳妇。〔むすこの妻。〕 妻,媳妇儿。〔結婚相手の女性。〕 母は私が大学を卒業したのを、ちょうど嫁でももらったと同じ程度に、重く見ているらしかった。
- たがる 想,希望,打算。(自分以外の者がある事柄を望んでいる意を表す。) 夏になると、みんな海水浴に行きたがる。 会場の人たちはだれも彼と話したがらない。
- 我を張る がをはる 固执,固执己见。(自分の考えを押し通して譲らない。)彼はいったん決めたことを我を張って、誰の忠告も聞かない。
- しどろもどろ 语无伦次,前言不搭后语。 問いつめられてしどろもどろになる。
- 口数 くちかず 说话的多少,话语的数量。(ことばかず。) 口数の多い人。
- とかく 动不动、总是[よくない傾向だが]。 学問をさせると人間がとかく理屈っぽくなっていけない。 最近、とかく子供を甘やかす親が多い。
- 一句 いっく 一句。(話・文章などの一節。また、一言。) 一句一句はっきり読む。
- 報知 ほうち 报知,通知。 火災報知。 それは明治天皇のご病気の報知であった。
- 曲折 きょくせつ 错综复杂。 曲折を経る(へる)。 经历曲折(的事件)。
- 塵 ちり 尘土,尘埃,尘垢。微小,微不足道。少许,一点,丝毫。 あの人に良心など塵ほどもない。 塵も積もれば山となる。积少成多。
4
- 小勢 こぜい 人数少。(少ない人数。また、そのさま。) 小勢な人。
- 昼寝 ひるね 午睡,午觉。 筆 ふで 題目 だいもく
- 親類 しんるい 亲属,亲戚,亲家。 遠い親類より近くの他人。远亲不如近邻。 同类,类似。(似ているもの。同類のもの。) 猫は虎の親類だ。
- 音信 おんしん 音信,消息,通信。(便り。おとずれ。いんしん。) 音信不通。 おんしんふつう。
- 気転 きてん 随机应变。 気転が利く。 随机应变的能力强。
- 天子 てんし 天子,皇帝。
- 閃く ひらめく 闪耀。闪烁。(きらきらと輝く。きらめく。) 西の空でときどき電光(でんこう)がひらめいた。 闪现。忽然想出。(瞬間的にある考えが脳裏をかすめる。) 心配が閃く。
- 当惑 とうわく 为难,困惑,不知……才好,感觉棘手。 どうしたらいいか当惑した。 当惑そうな顔をした。 この問題には当惑している。
5
- 衰える おとろえる 势头消失。衰弱。 父の元気は次第に衰えて行った。
- 束縛 そくばく 束缚,限制。 時間に束縛される。 終日仕事に束縛されています。
- 悠長 ゆうちょう 从容不迫,沉着冷静。 社交 しゃこう 社交,交际。(その社会で生きてゆく上に必要な、人との付き合い。) 社交が上手だ。 それは社交上(じょう)やむを得ないことだ。
- 時間に束縛を許さない悠長な田舎に帰った私は、お陰で好きもしくない社交上の苦痛から救われたも同じことであった。
- 薄物 うすもの 薄的织物,薄衣服。
- だらり 耷拉着,无力松弛地下垂着。 旗がだらりと下がる。
- 変色 へんしょく 变色,褪色。 この布は変色しない。
- 体裁 ていさい 样子,样式,门面,外表,外形。 この家は体裁がよい。 体面,体统。 みんなの前でしかられて,体裁が悪かった。 奉承话,溜须拍马。 お体裁を言う。
- 灯火 ともしび 徴する ちょうする 根据,依据。 前例に徴する。
- とても (后接否定)无论如何也……,怎么也……。 とてもだめだ。 とても50には見えない。
6
- 朋友 ほうゆう
- 骨を折る ほねをおる 卖力气,尽力,不辞辛苦。(精出して働く。苦労する。苦心する。) 友人の再就職に骨を折る。
- 過分 かぶん 过分,过度。 こういってくれる中に、私は二人が私に対してもっている過分な希望を読んだ。
- 月給 げっきゅう (一个月的)工资,薪水,月薪。
- 外聞 がいぶん 声誉,体面。(世間に対する体裁。) 外聞が悪い。 外聞の悪くないように。
- 周旋 しゅうせん 介绍,推荐,斡旋。 その先生は私に国へ帰ったら父の生きているうちに早く財産を分けて貰えと勧める人であった。卒業したから、地位の周旋をしてやろうという人ではなかった。
- 諷する ふうする 讽刺、讥讽。 父はこういって、私を諷した。
- 生返事 なまへんじ 含糊地回答,暧昧的回答。 私は生返事をして席を立った。
7
- 死後 しご 死后,后事。 父は死後の事を考えているらしかった。少なくとも自分がいなくなった後のわが家を想像して見るらしかった。
- 小供 こども 小孩子(古典文法)。 手もなく てもなく 容易,简单,不费事。 隔離 かくり 隔离,隔绝。将某人(事)从其他人(事)中分离出来,置于别处。 小供に学問をさせるのも、好(よ)し悪(あ)しだね。せっかく修業をさせると、その小供は決して宅へ帰って来ない。これじゃ手もなく親子を隔離するために学問させるようなものだ。
- 因果 いんが 教育を受けた因果で、私はまた東京に住む覚悟を固くした。
- 甚だしい はなはだしい 很,甚,非常,太甚。程度远远越过一般的状态。 甚だしい誤解。 自分が死んだ後、この孤独な母を、たった一人伽藍堂(がらんどう)のわが家に取り残すのもまた甚だしい不安であった。
- 矛盾 むじゅん 私はその矛盾をおかしく思ったと同時に、そのお蔭でまた東京へ出られるのを喜んだ。
- 弁護 べんご 辩护,辩解。 私は強(し)いても何かの事情を仮定して先生の態度を弁護しなければ不安になった。
- 分配 ぶんぱい 配分,配给,分给。 私はついに先生の忠告通り財産分配の事を父にいい出す機会を得ずに過ぎた。
8
- 学資 がくし 学费。 九月始めになって、私はいよいよまた東京へ出ようとした。私は父に向かって当分今まで通り学資を送ってくれるようにと頼んだ。
- 疎い うとい 不了解,生疏。〔不案内だ。〕 世事に疎い。 私は心のうちで、その口は到底私の頭の上に落ちて来ないと思っていた。けれども事情にうとい父はまたあくまでもその反対を信じていた。
- 心得る こころえる 懂得,明白,理解,领会。 元来学校を出た以上、出たあくる日から他(ひと)の世話になんぞなるものじゃないんだから。今の若いものは、金を使う道だけ心得ていて、金を取る方は全く考えていないようだね。
- 小言 こごと 申斥,责备。牢骚,怨言。 父はこの外にもまだ色々の小言をいった。その中には、「昔の親は子に食わせてもらったのに、今の親は子に食われるだけだ」などという言葉があった。それらを私はただ黙って聞いていた。
- 逆らう さからう 违背,背逆,违反,违抗,抗拒,违拗。 私はなるべく父の機嫌に逆らわずに、田舎を出ようとした。
- 散らす ちらす 散,散开,弄散,吹落。使掉得七零八落,使散落。 (接在动词连用形下)胡乱…。表示不顾细小的地方胡乱地做…,粗暴地做…。 私は取り散らした書物の間に坐って、心細そうな父の態度と言葉とを、幾度(いくたび)か繰り返し眺めた。
- 書物 しょもつ 书,书籍,图书。(本。書籍。)
- 帰省 きせい 归省,探亲,回老家。返回故乡,回故乡探望父母。 情調 じょうちょう 情调,情趣。 私の哀愁はこの夏帰省した以後次第に情調を変えて来た。
- 薄暗い うすぐらい 发暗,微暗,昏暗,阴暗。光线较弱而不太亮。 要するに先生は私にとって薄暗かった。
- 絶える たえる 断绝,终了;停止,消失。 先生と関係の絶えるのは私にとって大いな苦痛であった。私は母に日を見てもらって、東京へ立つ日取りを極めた。
9
- 行李 こうり (旅行)行李,柳条箱,装衣的箱笼。
- 座敷 ざしき (铺着席子的日本式的)房间。(日本式)客厅。 お客さんを奥の座敷にお通(とお)しする。
- 形ばかり かたばかり 极少,些许。一点小意思。形式上的,象征性的。徒具其形。 念のために枕元に坐って、濡手拭で父の頭を冷していた私は、九時頃になってようやく形ばかりの夜食を済ました。
- 肝要 かんよう 关键。要害。要紧。核心。重点。重要。必要。(非常に大切であること。) 冬はかぜをひかないように注意することが肝要だ。
- 気を揉む きをもむ 担心;操心;着急。 母は父が庭へ出たり背戸(せど)へ下りたりする元気を見ている間だけは平気でいるくせに、こんな事が起るとまた必要以上に心配したり気を揉んだりした。
- 裏書き うらがき 证实,证明。 過敏 かびん そうだといえば、父の病気の重いのを裏書きするようなものであった。私は父の神経を過敏にしたくなかった。しかし父は私の心をよく見抜いているらしかった。
- 縄 なわ 私はぼんやりその前に立って、また縄を解(と)こうかと考えた。
- 腰を浮かす 欠身,要站起来。 私は坐ったまま腰を浮かした時の落ち付かない気分で、また三、四日を過ごした。
- 心細い こころぼそい 心中没底,心中不安。 母の顔はいかにも心細そうであった。
- 不断 ふだん 不断。(絶えないこと。絶え間の無いこと。) 話をするところなどを見ると、風邪でも引いた時と全く同じ事であった。その上食欲は不断よりも進んだ。
- 訴える うったえる 诉讼,控告,控诉。申诉,诉说,呼吁。 苦痛を訴える。 淋しいからもっといてくれというのが重な理由であったが、母や私が、食べたいだけ物を食べさせないという不平を訴えるのも、その目的の一つであったらしい。
10
- 眼前 がんぜん 眼前。(その人が見ている目の前。) 死病 しびょう 绝症。一旦患上就必死无疑的疾病,不治之症。 父は死病に罹(かか)っている事をとうから自覚していた。それでいて、眼前にせまりつつある死そのものには気が付かなかった。
- 人間はいつ死ぬか分らないからな。何でもやりたい事は、生きてるうちにやっておくに限る。
- 縁起でもない えんぎ 不吉利。不是好兆头。 私は笑いを帯びた先生の顔と、縁喜でもないと耳を塞(ふさ)いだ奥さんの様子とを憶い出した。
- 線路 せんろ 铁路(线),轨道,铁轨,钢轨。用于使铁路车辆行驶的轨道。電車の新しい線路だけでも大変増えていますからね。
- 市区 しく 二六時中 にろくじちゅう 整天日夜终日。 電車が通るようになれば自然町並も変るし、その上に市区改正もあるし、東京が凝としている時は、まあ二六時中一分もないといっていいくらいです
- 疎遠 そえん 中には比較的遠くにいて平生疎遠なものもあった。 ふたりの仲はだんだん疎遠になった。
11
- 続け様 つづけざま 连续不断,接二连三。 こうした落ち付きのない間にも、私はまだ静かに坐る余裕をもっていた。偶には書物を開けて十頁(ぺーじ)もつづけざまに読む時間さえ出て来た。
- 顧みる かえりみる 往回看,回头看。回顾。 私は東京を立つ時、心のうちで極めた、この夏中の日課を顧みた。 むかしのことを顧みる。
- 運ぶ はこぶ 进展。 万事が順調に運んだ。 しかしこの夏ほど思った通り仕事の運ばない例(ためし)も少なかった。 話がいっこうに運ばない。
- 腕組み うでぐみ 抱着胳膊。 取り乱す とりみだす 弄得乱七八糟,搞得一片纷乱。 私が父の枕元を離れて、独り取り乱した書物の中に腕組みをしているところへ母が顔を出した。
- 慰安 いあん 安慰。慰劳。 慰安をあたえる。
- 見下げる みさげる 轻视;蔑视。 私は父に叱られたり、母の機嫌を損じたりするよりも、先生から見下げられるのを遥かに恐れていた。
- 親孝行 おやこうこう 孝,孝敬父母,孝顺;孝顺父母的人,孝子。 憐れ(あわれ)な私は親孝行のできない境遇(きょうぐう)にいた。私はついに一行の手紙も先生に出さなかった。
12
- 目を通す めをとおす 过目,浏览。(ひととおり見る。通覧する。) 読む時間のない時は、そっと自分の室(へや)へ持って来て、残らず眼を通した。
- 楽観 らっかん 兄と前後して着いた妹の夫の意見は、我々よりもよほど楽観的であった。
- 冷やりと ひやりと 打寒战,打冷战。 「あの時はいよいよ頭が変になったのかと思って、ひやりとした」と後で兄が私にいった。「私も実は驚きました」と妹の夫も同感らしい言葉つきであった。
- 夫人 ふじん 对别人妻子的尊称。 私の眼は長い間、軍服を着た乃木大将(のぎだいしょう)と、それから官女(かんじょ)みたような服装(なり)をしたその夫人の姿を忘れる事ができなかった。
- 一通 いっつう 书信等的一封,一份。 洋服を着た人を見ると犬が吠えるような所では、一通の電報(でんぽ)すら大事件であった。それを受け取った母は、はたして驚いたような様子をして、わざわざ私を人のいない所へ呼び出した。
- 推断 すいだん 推断;判断。 「きっとお頼もうしておいた口の事だよ」と母が推断してくれた。
- 或いは あるいは 或者,或许。也许,不然的话。 私もあるいはそうかも知れないと思った。しかしそれにしては少し変だとも考えた。
- 簡略 かんりゃく 認める したためる 书,写,书写。(書類・手紙を書きととのえる。書きしるす。記す。) 委細 いさい 详细,详情。一切,全部。(詳しいこと。) 委細承知。 できるだけ簡略な言葉で父の病気の危篤(きとく)に陥りつつある旨(むね)も付け加えたが、それでも気が済まなかったから、委細(いさい)手紙として、細かい事情をその日のうちに認めて郵便で出した。
13
- 文句 もんく 词句,话语。 すると手紙を出して二日目にまた電報が私宛で届いた。それには来ないでもよろしいという文句だけしかなかった。私はそれを母に見せた。
- 衣食 いしょく 衣食,吃饭和穿衣。生活。(暮らしを立てること。生活。) 母はどこまでも先生が私のために衣食の口を周旋してくれるものとばかり解釈しているらしかった。
- あり得べからざる ありうべからざる 不可能的,不存在的。 「先生が口を探してくれる」。これはあり得うべからざる事のように私には見えた。
- 立ち会う たちあう 到场,在场,会同,出席,参加。 二人の医者は立ち合いの上、病人に浣腸(かんちょう)などをして帰って行った。
- 両便 りょうべん 大小便。 父は医者から安臥(あんが)を命ぜられて以来、両便とも寝たまま他ひとの手で始末してもらっていた。
- 潔癖 けっぺき 喜好清洁,洁癖。 潔癖な父は、最初の間こそ甚だしくそれを忌(い)み嫌ったが、身体が利かないので、やむを得ずいやいや床(とこ)の上で用を足した。
- 尿 にょう 尿,小便。 もっとも尿の量は病気の性質として、極めて少なくなった。
- 衰える おとろえる 势头消失。衰弱。(生命力・活動力がすっかり弱った状態になる。) 食欲も次第に衰えた。 元気が衰える。
- 時分 じぶん 时刻,时间,期间,时候。 若い時分。
- どんより 阴沉沉。浑浊,不明亮。空气,水等浑浊,不新鲜。 父は「ああ作さんか」といって、どんよりした眼を作さんの方に向けた。 部屋の空気がどんより(と)よどんでいる。
- 寿命 じゅみょう 少し自分の寿命に対する度胸ができたという風に機嫌が直った。
- 釣り込む 引诱,吸引。 傍にいる母は、それに釣り込まれたのか、病人に気力を付けるためか、先生から電報のきた事を、あたかも私の位置が父の希望する通り東京にあったように話した。
14
- 一撃 いちげき 父の病気は最後の一撃を待つ間際まで進んで来て、そこでしばらく躊躇(ちゅうちょ)するようにみえた。
- 宣告 せんこく 家のものは運命の宣告が、今日下(くだ)るか、今日下るかと思って、毎夜(まいよ)床にはいった。
- 要心 ようじん 留心,注意。 風邪をひかないように要心する。
- 拍子 ひょうし 机会,(当……)时候,刚一……时候。 何かの拍子で眠れなかった時、病人の唸るような声を微かに聞いたと思い誤(あやま)った私は、一遍(ぺん)半夜(よなか)に床を抜け出して、念のため父の枕元まで行ってみた事があった。
- 肘 ひじ 肘,胳膊肘子。 曲げる まげる 弯,曲,折弯。 しかしその母は父の横に肱を曲げて枕としたなり寝入っていた。 屈,歪曲,篡改。 事実を曲げる。
- 寝床 ねどこ 睡铺,被窝。 忍び足 しのびあし 蹑足。 私は忍び足でまた自分の寝床へ帰った。
- 蚊帳 かや 私は兄といっしょの蚊帳の中に寝た。妹の夫だけは、客扱いを受けているせいか、独り離れた座敷に入(い)って休んだ。
- 煽る あおる 煽动,鼓动,激起。 有様 ありさま 样子,光景,情况,存在状态。事物的状态。 私はアルコールに煽られたその時の乱雑な有様を想い出して苦笑した。
- 見当 けんとう 方位,方向。 估计,推测,推断,猜测。 その男がだれだか見当がつかない。 「お前これからどうする」と兄は聞いた。私はまた全く見当の違った質問を兄に掛けた。
15
- 口吻 こうふん 口气,语气,嘴。 けれども父が何もできないから遊んでいるのだと速断するのに引きかえて、兄は何かやれる能力があるのに、ぶらぶらしているのは詰らん人間に限るといった風の口吻を洩(も)らした。
- 横着 おうちゃく 不要脸,不讲理,厚颜无耻。偷懒。 了見 りょうけん 想法,意图,主意,念头。 イゴイストはいけないね。何もしないで生きていようというのは横着な了簡だからね。
- 早呑み込み はやのみこみ (对事物)理解得快,理会得快囫囵吞枣自以为是。 それを母の早呑み込みでみんなにそう吹聴してしまった今となってみると、私は急にそれを打ち消す訳に行かなくなった。
- 幾分 いくぶん 一点儿,一些,少许,多少。〔すこし・やや。〕 私は死に瀕(ひん)している父の手前、その父に幾分でも安心させてやりたいと祈りつつある母の手前、働かなければ人間でないようにいう兄の手前、その他妹の夫だの伯父だの叔母だのの手前、私のちっとも頓着(とんじゃく)していない事に、神経を悩まさなければならなかった。
- 監理 かんり 监督管理。 「お前ここへ帰って来て、宅の事を監理する気がないか」と兄が私を顧みた。私は何とも答えなかった。
16
- 面目 めんぼく 面目,脸面。名誉,威信,体面。 面目を失う。 あんなことをして実に面目がない。 面目ない。 丢脸,丢人,脸上无光。
- 涙ぐむ なみだぐむ 含泪,泪眼汪汪。 母はそういう言葉の前にきっと涙ぐんだ。
- 対照 たいしょう そうした後ではまたきっと丈夫であった昔の父をその対照として想い出すらしかった。
- 催促 さいそく いいたい事があるのに、いわないで死ぬのも残念だろうし、といって、こっちから催促するのも悪いかも知れず
- 昏睡 こんすい (失去知觉而)昏迷。熟睡,睡得很沉。 母が昏睡状態を普通の眠りと取り違えたのも無理はなかった。
- 要領 ようりょう 要領を得ない。要領さえわかればなんでもない。
- 目方 めかた 重量,分量。 それは普通の手紙に比べるとよほど目方の重いものであった。
- 書留 かきとめ 挂号(信)。 私はそれを兄の手から受け取った時、すぐその書留である事に気が付いた。
- 懐 ふところ 怀,胸,怀抱。 裏を返して見るとそこに先生の名がつつしんだ字で書いてあった。手の放せない私は、すぐ封を切る訳に行かないので、ちょっとそれを懐に差し込んだ。
17
- 厠 かわや 厕所,便所。 番兵 ばんぺい 岗哨,哨兵。 私が厠へ行こうとして席を立った時、廊下で行き合った兄は「どこへ行く」と番兵のような口調で誰何(すいか)した。
- 取り巻く 包围。(取り囲む。) 父はこういった。そうしてまた昏睡状態に陥った。枕辺を取り巻いている人は無言のまましばらく病人の様子を見詰めていた。
- 所作 しょさ 举止,动作,行为。(ふるまい。行い。) 落ち着いた所作。
- 充てる あてる 用于,拨作。充当。安排。(振り向ける。充当する。) このお金は本代に充てる。 ここをわたしの部屋にあてている。
- 便宜 べんぎ 方便,便利。 そうして封じる便宜のために、四つ折に畳まれてあった。
- 西洋 せいよう 西洋,西方,欧美各国的总称。
- 明白 めいはく あなたから過去を問いただされた時、答える事のできなかった勇気のない私は、今あなたの前に、それを明白に物語る自由を得たと信じます。
- 上京 じょうきょう 进京,到东京去。 しかしその自由はあなたの上京を待っているうちにはまた失われてしまう世間的の自由に過ぎないのであります。
- 初手 しょて 起始,开头。(物事をするはじめ。最初。) 私はそこまで読んで、始めてこの長いものが何のために書かれたのか、その理由を明らかに知る事ができた。私の衣食の口、そんなものについて先生が手紙を寄こす気遣いはないと、私は初手から信じていた。
18
- まごまご 张皇失措『成』;手忙脚乱『成』;着慌;不知所措『成』,不知如何是好。 慣れない兄は起ってまごまごしていた。
- 退く しりぞく 倒退,后退。(後へ下がる。)退出,离开。(退出する。) 私は今にも変へんがありそうな病室を退いてまた先生の手紙を読もうとした。 退いて考えてみる。
- 覚束無い おぼつかない 可疑,靠不住,没有把握,几乎没希望。 順々に じゅんじゅんに 按顺序,依次,顺次。 一句 いっく 一句。(話・文章などの一節。また、一言。) 結末 けつまつ 结尾,终结;(最后的)结果,结局。 拾い読みにする余裕すら覚束なかった。私は一番しまいの頁まで順々に開けて見て、またそれを元の通りに畳んで机の上に置こうとした。その時ふと結末に近い一句が私の眼にはいった。「この手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもうこの世にはいないでしょう。とくに死んでいるでしょう」
- 逆さ さかさ 逆;倒,颠倒;相反。 同:倒|逆 そうして一枚に一句ぐらいずつの割で倒さに読んで行った。
- 咄嗟 とっさ 瞬间,立刻,刹那间;猛然。(極めて短い時間。あっという間。) 咄嗟には答えられない。 咄嗟のことで困った。
- 安否 あんぴ 平安与否,是否平安,安否。 その時私の知ろうとするのは、ただ先生の安否だけであった。先生の過去、かつて先生が私に話そうと約束した薄暗いその過去、そんなものは私に取って、全く無用であった。
- 発着 はっちゃく 出发和到达。 時刻表 じこくひょう (铁路等的)时刻表。 私はまた病室を退いて自分の部屋に帰った。そこで時計を見ながら、汽車の発着表を調べた。
4 先生と遺書
1
- 遺書 いしょ
- 自白 じはく 坦白。 承知 しょうち 知道,了解。 区域 くいき しかし自白すると、私はあなたの依頼に対して、まるで努力をしなかったのです。ご承知の通り、交際区域の狭いというよりも、世の中にたった一人で暮しているといった方が適切なくらいの私には、そういう努力をあえてする余地が全くないのです。
- ぞっと 打寒战,寒毛凛凛毛骨悚然『成』。 その時分の私は「それとも」という言葉を心のうちで繰り返すたびにぞっとしました。 背筋がぞっとする。
- 遺憾 いかん 遺憾ながら、その時の私には、あなたというものがほとんど存在していなかったといっても誇張(こちょう)ではありません。一歩進めていうと、あなたの地位、あなたの糊口(ここう)の資(し)、そんなものは私にとってまるで無意味なのでした。
- 藻掻く もがく 挣扎,翻滚。 宅(うち)に相応の財産があるものが、何を苦しんで、卒業するかしないのに、地位地位といって藻掻き廻るのか。
- 不躾 ぶしつけ 不礼貌,不懂礼貌,没规矩。不懂的礼仪礼法。 あなたを怒らすためにわざと無躾な言葉を弄(ろう)するのではありません。
- 怠慢 たいまん 謝す しゃす 「謝する」的五段化。「謝する」的文语形。谢罪,道歉。致谢。 とにかく私は何とか挨拶すべきところを黙っていたのですから、私はこの怠慢の罪をあなたの前に謝したいと思います。
- 有り体 ありてい 据实。 有体にいえば、あの時私はちょっとあなたに会いたかったのです。
- 圧迫 あっぱく あるいは私の脳髄(のうずい)よりも、私の過去が私を圧迫する結果こんな矛盾な人間に私を変化させるのかも知れません。
2
- 否む いなむ 拒绝。(承知しない。ことわる。)否定。(否定する。) 私もそれは否みません。
- 義務 ぎむ 根を張る ねをはる 根深蒂固,根基稳固。 私はあなたの知っている通り、ほとんど世間と交渉のない孤独な人間ですから、義務というほどの義務は、自分の左右前後を見廻しても、どの方角にも根を張っておりません。
- 故意 こい 故意か自然か、私はそれをできるだけ切り詰めた生活をしていたのです。 故意か過失か。
- 冷淡 れいたん 冷淡な顔をする。 冷淡な人間。
- 消極 しょうきょく ご覧のように消極的な月日を送る事になったのです。
- 所有 しょゆう 差し支える 妨碍,障碍,有影响;不方便。 差し支えない さしつかえない 没关系,可以,不妨,无妨。 =~てもいい 私の過去は私だけの経験だから、私だけの所有といっても差支ないでしょう。
- 教訓 きょうくん あなたは真面目だから。あなたは真面目に人生そのものから生きた教訓を得たいといったから。
- 発達 はったつ 发育。进步。发展。 だからこれから発達しようというあなたには幾分か参考になるだろうと思うのです。 幾分 いくぶん
- 背景 はいけい あなたの考えには何らの背景もなかったし、あなたは自分の過去をもつには余りに若過ぎたからです。
- 割る わる 約する やくする 约定,商定,订约。 他日 たじつ 他日,改日。 宿る やどる 住宿,投宿。寄生,寄居。存在,有。 それで他日を約して、あなたの要求を満足してしまった。私は今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴びせかけようとしているのです。私の鼓動(こどう)が停(と)まった時、あなたの胸に新しい命が宿る事ができるなら満足です。
- 命じる めいじる 命令,任命。 めいじられる
3
- 伝染 でんせん それが傍にいて看護をした母に伝染したのです。
- 片方 かたほう (两个中的)一个,一只;(两方当中的)一方(面);一边,一面。(二つあるものの一つ) 私は自分の過去を顧みて、あの時両親が死なずにいてくれたなら、少なくとも父か母かどっちか、片方で好いから生きていてくれたなら、私はあの鷹揚(おうよう)な気分を今まで持ち続ける事ができたろうにと思います。
- 何分 なにぶん 多少,若干;某些。 何分の指示があろう。 请。(どうか。) この子をどうぞ何分。
- 遺言 ゆいごん 遗言;遗嘱。 しかしこれがはたして母の遺言であったのかどうだか、今考えると分らないのです。
- 筋道 すじみち 理由,道理。(道理。) その上熱の高い時に出る母の言葉は、いかにそれが筋道の通った明らかなものにせよ、一向記憶となって母の頭に影さえ残していない事がしばしばあったのです。 筋道の通った要求。
- 備わる そなわる 设有,具有,具备。 空調設備(せつび)が備わっている。
- 記述 きじゅつ 记述。描述。 その実例としては当面の問題に大した関係のないこんな記述が、かえって役に立ちはしないかと考えます。
- 及ぶ およぶ 达到,及于(至る。);普及(広まる。);涉及;临到;至于。 匹敌,及,赶得上,比得上。 影響が広く及ぶ。 この事は君にまで及ぶ。 英語では彼に及ぶものはない。 甲(かぶと)は乙(おつ)に及ばない。
- 苦悩 くのう それが私の煩悶(はんもん)や苦悩に向って、積極的に大きな力を添えているのは確かですから覚えていて下さい。
- 卑しい いやしい 下贱。贪婪的。贫穷的。卑微的。 これでも私はこの長い手紙を書くのに、私と同じ地位に置かれた他の人と比べたら、あるいは多少落ち付いていやしないかと思っているのです。
- 雨戸 あまど 防雨门板,护窗板,扳窗栅。 露 つゆ 露,露水。 雨戸の外にはいつの間にか憐れな虫の声が、露の秋をまた忍びやかに思い出させるような調子で微かに鳴いています。 短暂,无常。 露の命。 露の間もこのことを忘れぬ。 一刻也没有忘记。
- 不慣れ 不馴れ ふなれ 不习惯;不熟练。 不慣れな仕事。
4
- 殺伐 さつばつ 杀气腾腾,充满杀机。 粗野 そや 粗鲁,粗野。 私は東京へ来て高等学校へはいりました。その時の高等学校の生徒は今よりもよほど殺伐で粗野でした。
- 照会 しょうかい 照会,询问。咨询处。 それで事が面倒になって、その男はもう少しで警察から学校へ照会されるところでした。
- 表沙汰 おもてざた 公开化,声张出去。 诉讼,打官司。 しかし友達が色々と骨を折って、ついに表沙汰にせずに済むようにしてやりました。
- 回顧 かいこ 回顾,回忆,回想。 = 顧みる。 今から回顧すると、むしろ人に羨ましがられる方だったのでしょう。
- 送金 そうきん 寄钱;(為替による)汇款。 書籍 しょせき 請求 せいきゅう 私は月々極った送金の外に、書籍費、(私はその時分から書物を買う事が好きでした)、および臨時の費用を、よく叔父から請求して、ずんずんそれを自分の思うように消費する事ができたのですから。
- 政党 せいとう 縁故 えんこ 亲属关系,亲缘关系。关系,交情。 その関係からでもありましょう、政党にも縁故があったように記憶しています。父の実の弟ですけれども、そういう点で、性格からいうと父とはまるで違った方へ向いて発達したようにも見えます。
- 隔てる へだてる 相隔,离,距。不同,不一致,有差别。(違いがある。) ここから2キロ隔たった所に寺がある。 いまを隔たる2千年の昔。
5
- 父母 ふぼ ちちはは
- 相続人 そうぞくにん 〈法〉继承人。 あなたの郷里でも同じ事だろうと思いますが、田舎では由緒のある家を、相続人があるのに壊したり売ったりするのは大事件です。
- 愛液 あいえき 巴氏腺液的俗称。(女性が交接時にバルトリン腺から分泌する粘液を俗にいう。)
6
- 世帯染みる 所帯染みる しょたいじみる 为家庭生活操劳变得平庸;显出为家务操劳的神气;操心柴米油盐;家庭妇女样儿。因考虑生活问题而失去青春的蓬勃朝气。 私の周囲を取り捲いている青年の顔を見ると、世帯染みたものは一人もいません。
- 悉く 尽く ことごとく 所有一切。 みんな自由です、そうして悉く単独らしく思われたのです。
- 裏面 りめん 余儀なくされる 不得不,必须得。 こういう気楽な人の中(うち)にも、裏面にはいり込んだら、あるいは家庭の事情に余儀なくされて、すでに妻を迎えていたものがあったかも知れませんが、子供らしい私はそこに気が付きませんでした。
- 勧誘 かんゆう しかしこの自分を育て上げたと同じような匂いの中で、私はまた突然結婚問題を叔父から鼻の先へ突き付けられました。叔父のいう所は、去年の勧誘を再び繰り返したのみです。
- 事柄 ことがら 事情,事体;事态。 しかしそれは私が叔父にいわれて、始めて気が付いたので、いわれない前から、覚っていた事柄ではないのです。
- 始終 しじゅう 始终,自始至终,颠末,一五一十,一一,从头至尾。 经常,时常,常,老(是),总(是),一直;不断。(たえず。常に。いつも。) 私は小供のうちから市にいる叔父の家うちへ始終遊びに行きました。
- 敷衍 布衍 ふえん 公認 こうにん 清新 せいしん 清新;生动。 あなたもご承知でしょう、兄妹の間に恋の成立した例のないのを。私はこの公認された事実を勝手に布衍しているかも知れないが、始終接触して親しくなり過ぎた男女(なんにょ)の間には、恋に必要な刺戟の起る清新な感じが失われてしまうように考えています。
- 香(こう)をかぎ得るのは、香を焚(た)き出した瞬間に限るごとく、酒を味わうのは、酒を飲み始めた刹那にあるごとく、恋の衝動にもこういう際(きわ)どい一点が、時間の上に存在しているとしか思われないのです。一度平気でそこを通り抜けたら、馴れれば馴れるほど、親しみが増すだけで、恋の神経はだんだん麻痺して来るだけです。私はどう考え直しても、この従妹を妻にする気にはなれませんでした。
- 主張 しゅちょう 叔父はもし私が主張するなら、私の卒業まで結婚を延ばしてもいいといいました。
- 諺 ことわざ 祝言 しゅうげん 婚礼。(結婚式。婚礼。) けれども善は急げという諺もあるから、できるなら今のうちに祝言の盃(さかずき)だけは済ませておきたいともいいました。
- 拒絶 きょぜつ 結婚の申し込みを拒絶されたのが、女として辛かったからです。私が従妹を愛していないごとく、従妹も私を愛していない事は、私によく知れていました。私はまた東京へ出ました。
7
- 取っ付き とっつき 初始,开始,起头。第一个,头一个。第一印象,初次见面的印象。 私が三度目に帰国したのは、それからまた一年経った夏の取付でした。
- 屈託 くったく 担心,操心,发愁。 厌倦,无聊。 過去一年の間いまだかつてそんな事に屈托した覚えもなく、相変らずの元気で国へ帰ったのです。
- 迷信 めいしん 迷信を信じる
- 掌 たなごころ 掌,手掌,掌心。 翻す ひるがえす 私の世界は掌を翻すように変りました。
- 俄然 がぜん 忽然,突然。 私が叔父の態度に心づいたのも、全くこれと同じなんでしょう。俄然として心づいたのです。何の予感も準備もなく、不意に来たのです。不意に彼と彼の家族が、今までとはまるで別物のように私の眼に映ったのです。
8
- 行き来 ゆきき 往返,往来。 交往,来往。(つきあい。)二日家へ帰ると三日は市の方で暮らすといった風に、両方の間を往来して、その日その日を落ち付きのない顔で過ごしていました。
- 当世 とうせい 当代,现代,现今。 それから、忙しがらなくては当世流でないのだろうと、皮肉にも解釈していたのです。
- 一時 いちじ 一時事業で失敗しかかっていたように他から思われていたのに、この二、三年来また急に盛り返して来たというのも、その一つでした。
- 談判 だんぱん 穏当 おんとう 妥当,稳当,妥帖,稳妥。 形容 けいよう 私はとうとう叔父と談判を開きました。談判というのは少し不穏当かも知れませんが、話の成行きからいうと、そんな言葉で形容するより外に途のないところへ、自然の調子が落ちて来たのです。
- 猜疑 さいぎ 叔父はどこまでも私を子供扱いにしようとします。私はまた始めから猜疑の眼で叔父に対しています。穏やかに解決のつくはずはなかったのです。
- 省く はぶく あなたに会って静かに話す機会を永久に失った私は、筆を執る術(すべ)に慣れないばかりでなく、貴(たっと)い時間を惜(おし)むという意味からして、書きたい事も省かなければなりません。 くわしい説明は省く。
- 冷ややか ひややか 熱する ねっする 发热,变热。 説 せつ 意见;主张。 私は冷ややかな頭で新しい事を口にするよりも、熱した舌で平凡な説を述べる方が生きていると信じています。
9
- 見地 けんち 见地,观点,立场。 すべてを叔父任せにして平気でいた私は、世間的にいえば本当の馬鹿でした。世間的以上の見地から評すれば、あるいは純なる尊(たっと)い男とでもいえましょうか。
- 物質的 ぶっしつてき 物质的,金钱方面的。 もし私が叔父の希望通り叔父の娘と結婚したならば、その結果は物質的に私に取って有利なものでしたろうか。
- 策略 さくりゃく 叔父は策略で娘を私に押し付けようとしたのです。
- 乗せる のせる (使)上当,骗人,诱骗。 彼女はうかつに乗せられた。
- 金額 きんがく 見積る みつもる 估计,估算,折合。测算,预计。 それは金額に見積ると、私の予期より遥かに少ないものでした。
- 旧友 きゅうゆう 私は思案の結果、市におる中学の旧友に頼んで、私の受け取ったものを、すべて金の形に変えようとしました。
- 永久 えいきゅう 私は国を立つ前に、また父と母の墓へ参りました。私はそれぎりその墓を見た事がありません。もう永久に見る機会も来ないでしょう。
- 利子 りし 利息,利钱。 実をいうと私はそれから出る利子の半分も使えませんでした。
10
- 一戸 いっこ 一家,一户。(1軒の家。1世帯の家。) 一戸を構える(かまえる)。 独立门户。 金に不自由のない私は、騒々しい下宿を出て、新しく一戸を構えてみようかという気になったのです。
- 世帯 せたい 家庭。共同居住和处理生计问题的团体。 自立门户独立生活。生活所必须的房子和用具。(生活に必要な家や道具。) しかしそれには世帯道具を買う面倒もありますし、世話をしてくれる婆さんの必要も起りますし、その婆さんがまた正直でなければ困るし、宅(うち)を留守にしても大丈夫なものでなければ心配だし、といった訳で、ちょくらちょいと実行する事は覚束なく見えたのです。
- 漫ろ そぞろ 不知不觉地,不由得。 ある日私はまあ宅だけでも探してみようかというそぞろ心から。。。
- 何心無い なにごころない 私はその草の中に立って、何心なく向うの崖(がけ)を眺めました。
- 貸家 かしや 出租的房子。 駄菓子 だがし 粗点心。 しまいに駄菓子屋の上さんに、ここいらに小ぢんまりした貸家はないかと尋ねてみました。
- 軍人 ぐんじん それはある軍人の家族、というよりもむしろ遺族、の住んでいる家でした。
- 教わる おそわる 受教,学习。(教えられる。) そうして駄菓子屋の上さんに教わった通り、紹介も何もなしにその軍人の遺族の家を訪ねました。
- 即座 そくざ 立即,即刻。以“即座に”的形式做副词。 そうしてこれなら大丈夫だというところをどこかに握ったのでしょう、いつでも引っ越して来て差支えないという挨拶を即坐に与えてくれました。
- 感服 かんぷく 钦佩,佩服。(深く感心して、尊敬・尊重の気持ちを抱くこと。) 未亡人は正しい人でした、また判然した人でした。私は軍人の妻君というものはみんなこんなものかと思って感服しました。感服もしたが、驚きもしました。
11
- 生ける いける 插。(把植物)栽(在土里)。花を花瓶に生ける。
- 装飾 そうしょく そのためでもありましょうか、こういう艶(なま)めかしい装飾をいつの間にか軽蔑する癖が付いていたのです。
- 琴 こと 古琴,筝。筝的通称,主要为近世以后的用法。
- 活花 いけばな 生花插花插的花。 ところが今いった琴と活花を見たので、急に勇気がなくなってしまいました。
- 掠める かすめる 偷,掠夺;剥削。骗过,瞒过。忽然浮现;掠过。こんな話をすると、自然その裏に若い女の影があなたの頭を掠めて通るでしょう。 ……という考えが頭を掠めた。
- 邪気 じゃき 邪心,恶意,歹意,坏心眼儿。 予備 よび 预备,准备;备品。 へどもど 张口结舌,张皇失措。 移った私にも、移らない初めからそういう好奇心がすでに動いていたのです。こうした邪気が予備的に私の自然を損なったためか、または私がまだ人慣れなかったためか、私は始めてそこのお嬢さんに会った時、へどもどした挨拶をしました。その代りお嬢さんの方でも赤い顔をしました。
- 順序 じゅんじょ 推測 すいそく 軍人の妻君だからああなのだろう、その妻君の娘だからこうだろうといった順序で、私の推測は段々延びて行きました。ところがその推測が、お嬢さんの顔を見た瞬間に、悉く打ち消されました。
- 居間 いま 起居室,起座间。 頬杖 ほおづえ 托腮,支起肘用手掌托住脸颊。 頬杖を突く。 以手托腮。 私は自分の居間で机の上に頬杖を突きながら、その琴の音(ね)を聞いていました。
- ついぞ (下接否定语)从(未)。 それから花瓶もついぞ変った例がありませんでした。 そんな人には終ぞ会ったこともない。
12
- 警戒 けいかい 私は私の敵視する叔父だの叔母だの、その他(た)の親戚だのを、あたかも人類の代表者のごとく考え出しました。汽車へ乗ってさえ隣のものの様子を、それとなく注意し始めました。たまに向うから話し掛けられでもすると、なおの事警戒を加えたくなりました。
- 鉛 なまり 重苦しい おもくるしい 鉛を呑んだように重苦しくなる事が時々ありました。
- たとい (常与”とも””ても”连用)纵然,纵使,即使。 好んで このんで 愿意,甘愿,高兴。 私が東京へ来て下宿を出ようとしたのも、これが大きな源因になっているように思われます。金に不自由がなければこそ、一戸を構えてみる気にもなったのだといえばそれまでですが、元の通りの私ならば、たとい心に余裕ができても、好んでそんな面倒な真似はしなかったでしょう。
- 定める さだめる 决定,选定。(決定する。)规定,制定。(制定する。) あなたは定めて変に思うでしょう。
- 両立 りょうりつ 两立;并存。 だから他(ひと)から見ると変なものでも、また自分で考えてみて、矛盾したものでも、私の胸のなかでは平気で両立していたのです。
- 切り詰める きりつめる 削减,缩减,撙节,压缩,节衣缩食。 金銭 きんせん なるほどそんな切り詰めた生活をする人に比べたら、私は金銭にかけて、鷹揚だったかも知れません。 食費を切り詰める。
13
- 僻む ひがむ 变乖僻,怀偏见。 てんから 根本,全然,简直,压根儿。 要するに奥さん始め家のものが、僻んだ私の眼や疑い深い私の様子に、てんから取り合わなかったのが、私に大きな幸福を与えたのでしょう。
- 静まる しずまる 平静下来,平静。静下来。 私の心が静まると共に、私は段々家族のものと接近して来ました。
- 公言 こうげん 公开说,声明。 奥さんは心得のある人でしたから、わざと私をそんな風に取り扱ってくれたものとも思われますし、また自分で公言するごとく、実際私を鷹揚だと観察していたのかも知れません。
- こせつく 小气,拘泥小节,为小事操心。 私のこせつき方は頭の中の現象で、それほど外へ出なかったようにも考えられますから、あるいは奥さんの方で胡魔化されていたのかも解りません。
- 招く まねく 招,招呼。招待,宴请。招聘,聘请。 また私の方で菓子を買って来て、二人をこっちへ招いたりする晩もありました。
- 間 ま 房间,间。房屋内的一个间隔。 茶の間。
- 仕切り しきり 隔开;间隔;区分;隔板;截断墙。 奥さんはその茶の間にいる事もあるし、またお嬢さんの部屋にいる事もありました。つまりこの二つの部屋は仕切があっても、ないと同じ事で、親子二人が往(い)ったり来たりして、どっち付かずに占領していたのです。
- 差し向かい さしむかい 相对,相向。 そうして若い女とただ差向で坐っているのが不安なのだとばかりは思えませんでした。
- 明らか あきらか 明显,显然,清楚〔はっきりした〕。 痕跡 こんせき よく解るように振舞って見せる痕迹さえ明らかでした。
14
- 推定 すいてい 偽り いつわり 假;虚伪;不真实。谎言。(うそ) 私は奥さんのこの態度のどっちかが本当で、どっちかが偽りだろうと推定しました。そうして判断に迷いました。
- 一字 いちじ 一字,一个字。(一つの文字。) 擦り付ける なすりつける 推诿,转嫁。 理由を考え出そうとしても、考え出せない私は、罪を女という一字に塗り付けて我慢した事もありました。
- 見縊る みくびる 轻视,小看,瞧不起。 それほど女を見縊っていた私が、またどうしてもお嬢さんを見縊る事ができなかったのです。
- 信仰 しんこう 宗教 しゅうきょう 私の理屈はその人の前に全く用を為(な)さないほど動きませんでした。私はその人に対して、ほとんど信仰に近い愛をもっていたのです。
- 本当の愛は宗教心とそう違ったものでないという事を固く信じているのです。
- 神聖 しんせい 端 はじ 極点 きょくてん 极点,极限。 もし愛という不可思議なものに両端(りょうはじ)があって、その高い端(はじ)には神聖な感じが働いて、低い端には性欲が動いているとすれば、私の愛はたしかにその高い極点を捕(つら)まえたものです。
- 反感 かんはん 反感を抱く(いだく)。 私は母に対して反感を抱くと共に、子に対して恋愛の度を増(ま)して行ったのですから、三人の関係は、下宿した始めよりは段々複雑になって来ました。
- ~ではなかろう 「~ではなかろうか」は「~ではないだろうか」の硬い言い方で、文章に使います。会話にはほとんど使いません。 否定表示肯定。 そのうち私はあるひょっとした機会から、今まで奥さんを誤解していたのではなかろうかという気になりました。 そうして事が済んだ後で、いつまでも、馬鹿にされたのだ、馬鹿にされたんじゃなかろうかと、何遍も心のうちで繰り返すのです。
- 密着 みっちゃく 紧贴。 萌す 兆す きざす 萌芽起…念头有预兆。 ただ自分が正当と認める程度以上に、二人が密着するのを忌(い)むのだと解釈したのです。お嬢さんに対して、肉の方面から近づく念の萌さなかった私は、その時入(い)らぬ心配だと思いました。しかし奥さんを悪く思う気はそれからなくなりました。
15
- 証拠 しょうこ 证据,证明。 私は奥さんの態度を色々綜合して見て、私がここの家で充分信用されている事を確かめました。しかもその信用は初対面の時からあったのだという証拠さえ発見しました。
- 奇異 きい 奇异,离奇,古怪,奇怪。 それでいて、私を信じている奥さんを奇異に思ったのですから。
- 直覚 ちょっかく 富む とむ 丰富。 私は男に比べると女の方がそれだけ直覚に富んでいるのだろうと思いました。
- 念頭 ねんとう 心头,心上。 私はそれを念頭に浮べてさえすでに一種の不愉快を感じました。
- 待遇 たいぐう 接待,对待;服务。待遇;报酬。 それからは私を自分の親戚に当る若いものか何かを取り扱うように待遇するのです。
- 映じる えいじる 映,映照。 すると今まで親切に見えた人が、急に狡猾(こうかつ)な策略家として私の眼に映じて来たのです。
- 先方 せんぽう 对方;那一方面。 利害問題から考えてみて、私と特殊の関係をつけるのは、先方に取って決して損ではなかったのです。
- 絶体絶命 ぜったいぜつめい 一筹莫展,无可奈何,穷途末路。 行き詰まる ゆきつまる 走到尽头,走不过去,行不通,穷途末路,走投无路。停滞不前,停顿,陷入僵局。 絶体絶命のような行き詰まった心持になるのです。
16
- 幸せ = 仕合わせ = 倖せ
- 気兼ね きがね 多心;拘泥;顾及;顾虑。 (他人の思惑などを考えて,気をつかうこと。遠慮。) 私の所へ訪ねて来るものは、大した乱暴者でもありませんでしたけれども、宅の人に気兼ねをするほどな男は一人もなかったのですから。
- 頗る すこるぶ 颇。很。 茶の間か、さもなければお嬢さんの室(へや)で、突然男の声が聞こえるのです。その声がまた私の客と違って、すこぶる低いのです。
- 年輩 ねんぱい 大致的年龄(同としごろ)。 それから若い男だろうか年輩の人だろうかと思案してみるのです。
- 重んじる おもんじる 重视,注重。尊重,器重,敬重。 品格 ひんかく 自尊心 じそんしん 物欲しそう ものほしそう 私は自分の品格を重んじなければならないという教育から来た自尊心と、現にその自尊心を裏切している物欲しそうな顔付とを同時に彼らの前に示すのです。
- 生じる しょうじる 生,长,发,长大。(植物等)生长。 もし断られたら、私の運命がどう変化するか分りませんけれども、その代り今までとは方角の違った場所に立って、新しい世の中を見渡す便宜も生じて来るのですから、そのくらいの勇気は出せば出せたのです。
- 業腹 ごうはら 怒火填膺。 他(ひと)の手に乗るのは何よりも業腹でした。
17
- 虱 しらみ
- 集る たかる 聚集,围拢。 蝨がたかりました。 敲诈,迫使请客。 不良グループに集られる。
- 余所行き よそゆき 出客衣服。外出时穿得正式服装。 その頃から見ると私も大分大人になっていました。けれどもまだ自分で余所行きの着物を拵えるというほどの分別は出なかったのです。
- 字引 じびき 字典,辞典,词典,辞书。 私の買うものの中には字引きもありますが、当然眼を通すべきはずでありながら、頁さえ切ってないのも多少あったのですから、私は返事に窮しました。
- 反物 たんもの 绸缎,布匹。
- 大層 たいそう 很,甚,非常,很多。〔たいへん。〕 夸张。〔おおげさ。〕 着飾る きかざる 盛装;打扮。 お嬢さんは大層着飾っていました。
- 暇 ひま 时间,工夫。闲空,余暇,闲工夫。 買う間にも色々気が変るので、思ったより暇がかかりました。
- 横丁 よこちょう 胡同,小巷,里弄。 奥さんは私に対するお礼に何かご馳走ちそうするといって、木原店(きはらだな)という寄席(よせ)のある狭い横丁へ私を連れ込みました。
- 明くる あくる 下,次,翌,第二。 明くる日 明くる月。
18
- 気を引く 刺探心意。 私は宅へ帰って奥さんとお嬢さんにその話をしました。奥さんは笑いました。しかし定めて迷惑だろうといって私の顔を見ました。私はその時腹のなかで、男はこんな風にして、女から気を引いて見られるのかと思いました。
- 意中 いちゅう 意中;心中。 探る さぐる 探;摸。刺探;试探。 私は肝心の自分というものを問題の中から引き抜いてしまいました。そうしてお嬢さんの結婚について、奥さんの意中を探ったのです。
- 告げる つげる 告诉;告知,通知;告。 奥さんは二、三そういう話のないでもないような事を、明らかに私に告げました。しかしまだ学校へ出ているくらいで年が若いから、こちらではさほど急がないのだと説明しました。
- 容色 ようしょく (美丽的)姿色,容貌。 重きを置く おもきをおく 着重。看重。 奥さんは口へは出さないけれども、お嬢さんの容色に大分重きを置いているらしく見えました。
- 戸棚 とだな 橱,柜。 お嬢さんは戸棚を前にして坐っていました。
- 得策 とくさく 上策,好办法,有利的方策。 それがお嬢さんを早く片付けた方が得策だろうかという意味だと判然した時、私はなるべく緩(ゆっ)くらな方がいいだろうと答えました。
- 横切る よこぎる 横过,横穿过。 もしその男が私の生活の行路(こうろ)を横切らなかったならば、おそらくこういう長いものをあなたに書き残す必要も起らなかったでしょう。
- 許諾 きょだく
- 断行 だんこう 断然实行,坚决实行。 だから私は私の善いと思うところを強いて断行してしまいました。
19
- 養子 ようし 继子,养子。 それである医者の所へ養子にやられたのです。
- 坊さん ぼうさん 和尚。 (僧を親しみ敬っていう語。)坊さんがお経(けい)をあげる。
- 余力 よりょく (力量、经济力等的)余力。 Kの生れた家も相応に暮らしていたのです。しかし次男を東京へ修業に出すほどの余力があったかどうか知りません。
- 精進 しょうじん 〈仏〉精进,修行。专心致志『成』。 寺に生れた彼は、常に精進という言葉を使いました。そうして彼の行為動作は悉くこの精進の一語で形容されるように、私には見えたのです。
- 哲学 てつがく
- 然るに しかるに 尽管如此。(それにもかかわらず。それなのに。) しかるに頑固な彼は医者にはならない決心をもって、東京へ出て来たのです。
- 詰る なじる 责问,责备,责难。 私は彼に向って、それでは養父母を欺(あざむ)くと同じ事ではないかと詰りました。
- 意気組み いきぐみ 「いきごみ(意気込)」の転。振奋,鼓起干劲,干劲十足,兴致勃勃,热火朝天,精神百倍。 よし解らないにしても気高(けだか)い心持に支配されて、そちらの方へ動いて行こうとする意気組みに卑しいところの見えるはずはありません。
- 貫く つらぬく 察する さっする 一図な彼は、たとい私がいくら反対しようとも、やはり自分の思い通りを貫いたに違いなかろうとは察せられます。
20
- 構う かまう 管;顾;介意;理睬;干预。(気を遣う。) 余計なことを構うな! 知れはしないという安心と、知れたって構うものかという度胸とが、二つながらKの心にあったものと見るよりほか仕方がありません。Kは私よりも平気でした。
- 上旬 じょうじゅん 私が帰って来たのは九月上旬でした。
- 親指 おやゆび 大指;拇指;大拇指
- 聖書 せいしょ 古圣人的著述。圣经。 私はまた彼の室に聖書を見ました。
- 消息 しょうそく 消息,信息,信。 情况。 無知 むち あなたは学校教育を受けた人だから、こういう消息をよく解しているでしょうが、世間は学生の生活だの、学校の規則だのに関して、驚くべく無知なものです。
- 澄ます すます 〔平気をよそおう〕装作若无其事〔满不在乎〕.装模作样。假装正经。 Kは澄ました顔をして、養家から送ってくれる金で、自分の好きな道を歩き出したのです。 Kはその点にかけて、私より世間を知っていたのでしょう、澄ました顔でまた戻って来ました。
21
- 詰責 きっせき 詰問。 れにも前に劣(おと)らないほど厳しい詰責きっせきの言葉がありました。
- 差し当たり さしあたり 当前,目前,眼前。 月々 つきづき 月月(地),每月(地)。(毎月。月ごと。) 差し当りどうかしなければならないのは、月々に必要な学資でした。
- 払底 ふってい 匮乏,缺乏。 内職 ないしょく 副业,临时工作。边上课边干别的事。 その時分は今に比べると、存外ぞんがい世の中が寛(くつ)ろいでいましたから、内職の口はあなたが考えるほど払底でもなかったのです。
- 手を拱く てをこまぬく 袖手旁观,坐视不管。 私はそうかといって手を拱いでいる訳にゆきません。
- 一も二もなく 二话不说。 撥ね付ける はねつける 拒绝,不接受。 するとKは一も二もなくそれを跳はね付けました。
- 手を引く = 手を拱く それで彼の思う通りにさせて、私は手を引きました。
- 取り合う 理,理睬,答理,理会。成为对手,当做一回事。 しかし剛気(ごうき)な彼は笑うだけで、少しも私の注意に取り合いませんでした。
- 怒りを買う いかりをかう 激怒,惹人生气。(相手を怒らせる、自分の言動により相手が怒ってしまう、などの様子を意味する表現。) 彼は養家の感情を害すると共に、実家の怒いも買うようになりました。
- 双方 そうほう 私が心配して双方を融和するために手紙を書いた時は、もう何の効果(ききめ)もありませんでした。
- 勘当 かんどう 断绝父子关系;开除徒弟,断绝师徒关系。 復籍 ふくせき 最後にKはとうとう復籍に決しました。養家から出してもらった学資は、実家で弁償する事になったのです。その代り実家の方でも構わないから、これからは勝手にしろというのです。昔の言葉でいえば、まあ勘当なのでしょう。
22
- 継母 けいぼ ままはは それでKの小供の時分には、継母よりもこの姉の方が、かえって本当の母らしく見えたのでしょう。
- 重きをなす おもきをなす 占重要地位、受重视。 Kの養子に行った先は、この人の親類に当るのですから、彼を周旋した時にも、彼を復籍させた時にも、この人の意見が重きをなしていたのだと、Kは私に話して聞かせました。
- 一存 いちぞん 自己个人的意见。一己之见,个人的主张,看法,意见 (一人だけの考え。) これは固(もと)より私の一存いちぞんでした。
- 激する げきする 激怒;激动;激烈;猛撞。 感情が激する。
- 養う やしなう 意志の力を養って強い人になるのが自分の考えだというのです。
- 明言 めいげん 明言。明确说出。 自分もそういう点に向って、人生を進むつもりだったとついには明言しました。
23
- 気心 きごころ 性情,脾气,性格。 私が決して世話の焼ける人でないから構うまいというと、世話は焼けないでも、気心の知れない人は厭だと答えるのです。
- 折り合い おりあい 相处(的关系),相互关系。妥协,和解,和好,让步。 れに付け足して、Kが養家と折合の悪かった事や、実家と離れてしまった事や、色々話して聞かせました。
- 食物 しょくもつ 食物(くいもの)も室相応に粗末でした。
- 仏教 ぶっきょう 佛教。 兎角 とかく 这样那样,种种,许多。 衣食住 いしょくじゅう 衣食住,吃穿住。 宛かも あたかも 恰似,犹如,宛如。(まるで。) 仏教の教義で養われた彼は、衣食住についてとかくの贅沢をいうのをあたかも不道徳のように考えていました。 彼は、あたかも自分が会の中心人物であるかのように振る舞っていた。
- 鞭撻 べんたつ 霊 れい 光輝 こうき 増す ます 增加,增多,增大。增长,增进,增高。 肉を鞭撻すれば霊の光輝が増すように感ずる場合さえあったのかも知れません。
24
- 快活 かいかつ 快活;爽快;干脆;开朗;爽朗。 私は奥さんからそういう風に取り扱われた結果、段々快活になって来たのです。それを自覚していたから、同じものを今度はKの上に応用しようと試みたのです。
- 弁える わきまえる 辨别;识别;理解;明白。 事理 じり 事理,道理。 けれども私が強いてKを私の宅へ引っ張って来た時には、私の方がよく事理を弁えていると信じていました。
- 忍耐 にんたい 私にいわせると、彼は我慢と忍耐の区別を了解していないように思われたのです。
- 偉大 いだい 偉大な国家。 Kは私より偉大な男でしたけれども、全くここに気が付いていなかったのです。
- 引き合い ひきあい 引证,引为例证。 私はKを説くときに、ぜひそこを明らかにしてやりたかったのです。しかしいえばきっと反抗されるに極っていました。また昔の人の例などを、引合に持って来るに違いないと思いました。
- ~がましい 接尾词。近似,类似;似的……。 他人がましい。 それで私は彼が宅へ引き移ってからも、当分の間は批評がましい批評を彼の上に加えずにいました。ただ穏やかに周囲の彼に及ぼす結果を見る事にしたのです。
25
- 祟る たたる 产生恶果,遭殃。 私は彼のこれまで通って来た無言生活が彼に祟っているのだろうと信じたからです。
- 応対 おうたい 寒くはないかと聞くと、寒いけれども要らないんだといったぎり応対をしないのだそうです。
- 片輪 かたわ 残缺不全,不全面,不均衡。 不具 ふぐ 不具备,不齐全。 釣り合う つりあう 平衡,均衡。匀称,适称,相称,调和。 しかし眼だけ高くって、外が釣り合わないのは手もなく不具です。
- 試みる こころみる 试验一下。 この試みは次第に成功しました。
- 融合 ゆうごう 融合。 初めのうち融合しにくいように見えたものが、段々一つに纏まって来出しました。
- 喜悦 きえつ 私は最初からそうした目的で事をやり出したのですから、自分の成功に伴う喜悦を感ぜずにはいられなかったのです。
26
- 遅速 ちそく 快慢。 Kと私は同じ科におりながら、専攻の学問が違っていましたから、自然出る時や帰る時に遅速がありました。
- 門前 もんぜん 私は急ぎ足に門前まで来て。
- 厄介 やっかい 寄食,寄宿(的人)。 久しい ひさしい 好久,许久。过去很长时间。 玄関から真直に行けば、茶の間、お嬢さんの部屋と二つ続いていて、それを左へ折れると、Kの室、私の室、という間取(まどり)なのですから、どこで誰の声がしたくらいは、久しく厄介になっている私にはよく分るのです。
- 屈む こごむ 弯腰。蹲(下)。(ひざをまげて。) 私がこごんでその靴紐くつひもを解いているうち、Kの部屋では誰の声もしませんでした。
- 留守 るす 看家,看门。不在家。 奥さんははたして留守でした。下女も奥さんといっしょに出たのでした。だから家に残っているのは、Kとお嬢さんだけだったのです。
- 下らない くだらない 无聊的,无用的。 私は何か急用でもできたのかとお嬢さんに聞き返しました。お嬢さんはただ笑っているのです。私はこんな時に笑う女が嫌いでした。若い女に共通な点だといえばそれまでかも知れませんが、お嬢さんも下らない事によく笑いたがる女でした。
27
- や否や やいなや 刚一……就……,刚……马上……,刚一……立刻…… その時お嬢さんは私の顔を見るや否や笑い出しました。
- 多弁 たべん 能说会道,爱说话。 性質からいうと、Kは私よりも無口な男でした。私も多弁な方ではなかったのです。
- 海のものとも山のものともつかない 含糊。不明所以。 ところが彼は海のものとも山のものとも見分けの付かないような返事ばかりするのです。
- 無学 むがく 没文化,没学问。 その上彼はシュエデンボルグがどうだとかこうだとかいって、無学な私を驚かせました。
- 首尾 しゅび 首尾,始终。 我々が首尾よく試験を済ましました時、二人とももう後一年だといって奥さんは喜んでくれました。
- 物の数 もののかず 值得一提,数得着。 女の代表者として私の知っているお嬢さんを、物の数とも思っていないらしかったからです。今から回顧すると、私のKに対する嫉妬(しっと)は、その時にもう充分萌していたのです。
28
- 沿岸 えんがん 手頃 てごろ 适合,适称。与能力或情况正好相合。 富浦からまた那古に移りました。すべてこの沿岸はその時分から重に学生の集まる所でしたから、どこでも我々にはちょうど手頃の海水浴場だったのです。 この品物なら値段もちょうど手頃だ。
- 耽る ふける 耽于,沉湎,入迷,沉溺。 私にはそれが考えに耽っているのか、景色に見惚れているのか、もしくは好きな想像を描いているのか、全く解らなかったのです。
- 岩 いわ それだけならまだいいのですが、時にはKの方でも私と同じような希望を抱いて岩の上に坐っているのではないかしらと忽然(こつぜん)疑い出すのです。
- 襟首 えりくび 后颈,脖颈儿。 ある時私は突然彼の襟頸を後ろからぐいと攫(つか)みました。
- 衰弱 すいじゃく 反比例 はんぴれい Kの神経衰弱はこの時もう大分よくなっていたらしいのです。それと反比例に、私の方は段々過敏になって来ていたのです。
- 衝突 しょうとつ 単にそれだけならば、Kと私との利害に何の衝突の起る訳はないのです。
- 元来 がんらい 本来原来生来。(本来。) Kは元来そういう点にかけると鈍い人なのです。私には最初からKなら大丈夫という安心があったので、彼をわざわざ宅へ連れて来たのです。
29
- 抽象 ちゅうしょう 偶には愛とか恋とかいう問題も、口に上(のぼ)らないではありませんでしたが、いつでも抽象的な理論に落ちてしまうだけでした。
- 笑止千万 しょうしせんばん 荒唐可笑,令人喷饭。 あなたがたから見て笑止千万な事もその時の私には実際大困難だったのです。
- 下等 かとう (质量)低劣,下等,低级,次。 詫びながら自分が非常に下等な人間のように見えて、急に厭な心持になるのです。 下等生物。
- こせこせ 小气,不大方。 容貌もKの方が女に好かれるように見えました。性質も私のようにこせこせしていないところが、異性には気に入るだろうと思われました。
- 優勢 ゆうせい 优势。气势、形势比他人有利。 それでどこかに確かりした男らしいところのある点も、私よりは優勢に見えました。
30
- 霊魂 れいこん 急に他(ひと)の身体の中へ、自分の霊魂が宿替(やどがえ)をしたような気分になるのです。
- 憎しみ にくしみ 憎,恨。憎恶,憎恨。厌恶的心情。 憎しみを抱く。
- 歩行 ほこう 在来 ざいらい 原有,以往,通常。原先。很早就有,同以前一样。 つまり二人は暑さのため、潮のため、また歩行のため、在来と異なった新しい関係に入る事ができたのでしょう。
- 鯛 たい 鲷(diao)鱼。 くさっても鯛。瘦死的骆驼比马大。
- 紫 むらさき その時私はただ一図に波を見ていました。そうしてその波の中に動く少し紫がかった鯛の色を、面白い現象の一つとして飽かず眺めました。
- 草書 そうしょ 日蓮(にちれん)は草日蓮(そうにちれん)といわれるくらいで、草書が大変上手であったと坊さんがいった時、字の拙まずいKは、何だ下らないという顔をしたのを私はまだ覚えています。
- 軽薄 けいはく 轻薄,轻佻,浮华。 精神的に向上心がないものは馬鹿だといって、何だか私をさも軽薄もののようにやり込めるのです。
- 侮辱 ぶじょく 蟠る わだかまる 意难平,气难消。 ところが私の胸にはお嬢さんの事が蟠っていますから、彼の侮蔑に近い言葉をただ笑って受け取る訳にいきません。私は私で弁解を始めたのです。
31
- 自説 じせつ 己见。(自分の意見・説。) 私はなおの事自説を主張しました。するとKが彼のどこをつらまえて人間らしくないというのかと私に聞くのです。私は彼に告げました。――君は人間らしいのだ。あるいは人間らし過ぎるかも知れないのだ。けれども口の先だけでは人間らしくないような事をいうのだ。また人間らしくないように振舞おうとするのだ。
- 張り合いが抜ける 泄气。 私は張合いが抜けたというよりも、かえって気の毒になりました。
- 豪傑 ごうけつ Kの口にした昔の人とは、無論英雄(えいゆう)でもなければ豪傑でもないのです。
- 悔恨 かいこん 私にはこの上もない好い機会が与えられたのに、知らない振りをしてなぜそれをやり過ごしたのだろうという悔恨の念が燃えたのです。
- 用いる もちいる 用,使用。录用,任用。 私は人間らしいという抽象的な言葉を用いる代りに、もっと直截(ちょくせつ)で簡単な話をKに打ち明けてしまえば好かったと思い出したのです。
- 基調 きちょう 惰性 だせい 私にそれができなかったのは、学問の交際が基調を構成している二人の親しみに、自(おのず)から一種の惰性があったため、思い切ってそれを突き破るだけの勇気が私に欠けていたのだという事をここに自白します。
- 気取る きどる 作态,装腔作势。 虚栄 きょえい 気取り過ぎたといっても、虚栄心が祟ったといっても同じでしょうが、私のいう気取るとか虚栄とかいう意味は、普通のとは少し違います。
- 小理屈 こりくつ 歪理,诡辩。 =屁理屈 人間らしいとか、人間らしくないとかいう小理屈はほとんど頭の中に残っていませんでした。
32
- 持ち前 もちまえ 天性,生性,秉性;天生,生就。 余分 よぶん 多余,剩余。 割り当てる わりあてる 分配,分摊,分派。 つまりお嬢さんは私だけに解るように、持前の親切を余分に私の方へ割り宛(あ)ててくれたのです。
- 凱歌 がいか 奏する そうする 演奏。(音楽をかなでる。演奏する。) 私は心の中(うち)でひそかに彼に対す凱歌を奏しました。
- 刻限 こくげん 规定的时刻,限定的时间。 Kと私とは各自の時間の都合で出入りの刻限にまた遅速ができてきました。
- 器械 きかい 私の会釈もほとんど器械のごとく簡単でかつ無意味でした。
- 捌ける さばける 开通,通情达理,老练,精通世故,开明。 私は笑いながらさっきはなぜ逃げたんですと聞けるような捌けた男ではありません。
33
- 外套 がいとう 大衣,外套;风衣;雨衣。 外套を着る。
- 侘しい わびしい 寂寞,冷清。 宅の中がしんと静まって、誰の話し声も聞こえないうちに、初冬(はつふゆ)の寒さと佗しさとが、私の身体に食い込むような感じがしました。
- 勾配 こうばい 倾斜(面),斜坡,坡度,梯度。 その時分はまだ道路の改正ができない頃なので、坂の勾配が今よりもずっと急でした。
- 後生大事 ごしょうだいじ 很重视,极珍重。 誰でも路(みち)の真中に自然と細長く泥が掻(か)き分けられた所を、後生大事に辿たどって行かなければならないのです。
- 帯 おび 带,带状物。腰带;带子。封带;纸带。
- 少なからず すくなからず 很多,不少,不小,非常。 近眼の私には、今までそれがよく分らなかったのですが、Kをやり越した後で、その女の顔を見ると、それが宅のお嬢さんだったので、私は少なからず驚きました。
34
- 思慮 しりょ 考虑,思虑。 若い女としてお嬢さんは思慮に富んだ方でしたけれども、その若い女に共通な私の嫌いなところも、あると思えば思えなくもなかったのです。
- 優柔 ゆうじゅう そういうと私はいかにも優柔な男のように見えます、また見えても構いませんが、実際私の進みかねたのは、意志の力に不足があったためではありません。
- ずれ 背离,偏差。指偏离,脱离基准或常识等。 世の中では否応なしに自分の好いた女を嫁に貰って嬉しがっている人もありますが、それは私たちよりよっぽど世間ずれのした男か、さもなければ愛の心理がよく呑み込めない鈍物(どんぶつ)のする事と、当時の私は考えていたのです。
- 実際家 じっさいか 讲究实际的人,实干家,专家。 つまり私は極めて高尚な愛の理論家だったのです。同時にもっとも迂遠(うえん)な愛の実際家だったのです。
35
- 歌留多 カルタ carta纸牌游戏,纸牌,骨牌,扑克牌。百人一首、扑克、纸牌等牌类中的牌的泛称。亦指此类游戏。 その内年が暮れて春になりました。ある日奥さんがKに歌留多をやるから誰か友達を連れて来ないかといった事があります。
- 陽気 ようき 心情、气氛等活泼明亮开朗;热闹明朗。 奥さんはそれじゃ私の知ったものでも呼んで来たらどうかといい直しましたが、私も生憎そんな陽気な遊びをする心持になれないので、好い加減な生返事をしたなり、打ちやっておきました。
- 懐手 ふところで 两手揣在怀里。懐手のまま動かない。
- 加勢 かせい 援助,帮助,帮忙。 私の言葉を聞いたお嬢さんは、大方Kを軽蔑するとでも取ったのでしょう。それから眼に立つようにKの加勢をし出しました。
- 敷居 しきい 门槛;门坎。 十時頃になって、Kは不意に仕切りの襖(ふすま)を開けて私と顔を見合わせました。彼は敷居の上に立ったまま、私に何を考えていると聞きました。
- 年始 ねんし 贺年。拜年。(年賀。) すると女の年始は大抵十五日過だのに、なぜそんなに早く出掛けたのだろうと質問するのです。
36
- 重み おもみ 重量,分量。 籠る こもる 闭门不出。包含,蕴含。充满。 彼の唇がわざと彼の意志に反抗するように容易く開かないところに、彼の言葉の重みも籠っていたのでしょう
- 化石 かせき 私は彼の魔法棒のために一度に化石されたようなものです。口をもぐもぐさせる働きさえ、私にはなくなってしまったのです。
- 先を越す せんをこす 抢先,先下手。 先を越されたなと思いました。
- 給仕 きゅうじ 伺候(吃饭)。 いつにない 与平时不同。 下女に給仕をしてもらって、私はいつにない不味(まず)い飯(めし)を済ませました。 こんなに早く来るのは何時にないことだ。
37
- 逆襲 ぎゃくしゅう 反攻,还击。 夜になって敵の逆襲をうけた。
- 手抜かり てぬかり 疏忽,遗漏,漏洞。 なぜ先刻Kの言葉を遮って、こっちから逆襲しなかったのか、そこが非常な手落りのように見えて来ました。
- 突進 とっしん 直冲上去,猛冲。 私はKが再び仕切の襖を開けて向うから突進してきてくれれば好いと思いました。
- 湯呑 ゆのみ 茶杯。茶碗。
- 一杯 いっぱい 一碗,一杯,一盅。 满,充满。 あす一杯は忙しい。
- 咀嚼 そしゃく 咀嚼,嚼。理解,体会。 うろつく 彷徨,徘徊,闲荡。 むしろ自分から進んで彼の姿を咀嚼しながらうろついていたのです。
- 募る つのる 〔激しくなる〕越来越厉害。 招,招募,募;征求,征集;募集。 どうしてあんな事を突然私に打ち明けたのか、またどうして打ち明けなければいられないほどに、彼の恋が募って来たのか、そうして平生の彼はどこに吹き飛ばされてしまったのか、すべて私には解しにくい問題でした。
- 魔物 まもの 妖魔妖怪,怪物妖魔,魔怪,妖怪。 つまり私には彼が一種の魔物のように思えたからでしょう。私は永久彼に祟られたのではなかろうかという気さえしました。
38
- 寡言 かげん 寡言,不多说,沉默寡言。 Kは私よりもなお寡言でした。
- 細目 ほそめ 眯缝眼睛。 奥さんはおやおやといって、仕切りの襖を細目に開けました。
- はっと 突然。猛然。 私はまたはっと思わせられました。
39
- 折 おり 时候,当口儿。(その時。) 机会,时机。(機会。) その結果始めは向うから来るのを待つつもりで、暗に用意をしていた私が、折があったらこっちで口を切ろうと決心するようになったのです。
- 口を切る 先带头说话,带头发言。
- 挙動 きょどう 举动,行动,举措。 差異 さい 差异差别。差异;差别。(違い。隔たり。) ~たる 「たる」是文语助动词「たり」的连体形,表示断定或肯定的判断。相当于「…である」。前面接名词。“作为…的…”。 Kの自白以前と自白以後とで、彼らの挙動にこれという差違が生じないならば、彼の自白は単に私だけに限られた自白で、肝心の本人にも、またその監督者たる奥さんにも、まだ通じていないのは慥かでした。
- 肉薄 にくはく 逼问。追问。 ある日私は突然往来でKに肉薄しました。私が第一に聞いたのは、この間の自白が私だけに限られているか、または奥さんやお嬢さんにも通じているかの点にあったのです。
- 損なう そこなう 学資の事で養家を三年も欺(あざむ)いていた彼ですけれども、彼の信用は私に対して少しも損われていなかったのです。
- 断言 だんげん 彼は何も私に隠す必要はないと判然断言しました。
- そうして人間の胸の中に装置された複雑な器械が、時計の針(はり)のように、明瞭に偽りなく、盤上(ばんじょう)の数字を指し得うるものだろうかと考えました。
- ついそれなりにしてしまいました。 只好不了了之。
40
- 新着 しんちゃく 新到(的东西),新进口(的东西)。 引っ繰り返す ひっくりかえす 翻阅,翻找。为找需要的消息而翻书页。 私は広い机の片隅で窓から射す光線を半身に受けながら、新着の外国雑誌を、あちらこちらと引っ繰り返して見ていました。
- 気が散る きがちる 精力分散。走神。 すると私は気が散って急に雑誌が読めなくなりました。
- 淵 ふち 深渊,指很难摆脱的困境。 彼は私に向って、ただ漠然と、どう思うというのです。どう思うというのは、そうした恋愛の淵に陥った彼を、どんな眼で私が眺めるかという質問なのです
- 思惑 おもわく 想法,念头;打算,意图;用心;心愿;预期,期待,期望。 たびたび繰り返すようですが、彼の天性は他の思わくを憚かるほど弱くでき上ってはいなかったのです。
- すかさず 立刻,马上。 私は隙(す)かさず迷うという意味を聞き糺(ただ)しました。
- そうして迷っているから自分で自分が分らなくなってしまったので、私に公平な批評を求めるより外に仕方がないといいました。
41
- 他流試合 たりゅうしあい 和别派比武。 私はちょうど他流試合でもする人のようにKを注意して見ていたのです。
- 五分 ごぶ 一点,些微。一半。(物事のなかば。) 私は、私の眼、私の心、私の身体、すべて私という名の付くものを五分の隙間もないように用意して、Kに向ったのです。
- 無用心 ぶようじん 不安全,靠不住,粗心大意。 罪のないKは穴だらけというよりむしろ明け放しと評するのが適当なくらいに無用心でした。
- 虚 きょ 虚,空虚。疏忽,大意,没有防备。(油断。) 付け込む 抓住机会,乘机,乘人之危。 そうしてすぐ彼の虚に付け込んだのです(乘虚而入)。
- 厳粛 げんしゅく 私は彼に向って急に厳粛な改まった態度を示し出しました。
- 行く手 ゆくて 前程,前途,前方。 私はその一言でKの前に横たわる恋の行手を塞(ふさ)ごうとしたのです。
- 妨げ さまたげ 妨碍,阻碍。阻挠,障碍。 道のためにはすべてを犠牲にすべきものだというのが彼の第一信条なのですから、摂欲(せつよく)や禁欲は無論、たとい欲を離れた恋そのものでも道の妨害になるのです。
- 自活 じかつ 自己谋生,独立生活。 Kが自活生活をしている時分に、私はよく彼から彼の主張を聞かされたのでした。
- 転換 てんかん 私はただKが急に生活の方向を転換して、私の利害と衝突するのを恐れたのです。要するに私の言葉は単なる利己心の発現でした。
42
- 卑怯 ひきょう 胆怯,懦怯,卑怯,懦弱。 卑鄙;无耻。 私語く ささやく 低声私语。小声で言う。声をひそめて言う。 しかし私にも教育相当の良心はありますから、もし誰か私の傍へ来て、お前は卑怯だと一言私語いてくれるものがあったなら、私はその瞬間に、はっと我に立ち帰ったかも知れません。
- 人格 じんかく 善良 ぜんりょう 眩む 暗む くらむ 头昏眼花,眩晕。执迷。 余りに人格が善良だったのです。目のくらんだ私は、そこに敬意を払う事を忘れて、かえってそこに付け込んだのです。そこを利用して彼を打ち倒そうとしたのです。
- 羊 ひつじ 羊,绵羊。 私はそうした態度で、狼のごとき心を罪のない羊に向けたのです。 羊肉 ようにく
- 萎縮 いしゅく 私がこういった時、背の高い彼は自然と私の前に萎縮して小さくなるような感じがしました。
- 霜 しも
- 割合に わりあいに 比较地,比预想地。 割合に風のない暖かな日でしたけれども、何しろ冬の事ですから、公園のなかは淋しいものでした。
- 引き取る ひきとる 退出。(その場から去る。) 取回。 掻き込む かきこむ 狼吞虎咽。非常着急地吃饭。 奥さんが話しかけても、お嬢さんが笑っても、碌な挨拶はしませんでした。それから飯を呑み込むように掻き込んで、私がまだ席を立たないうちに、自分の室へやへ引き取りました。
43
- 一意 いちい しかしKが古い自分をさらりと投げ出して、一意に新しい方角へ走り出さなかったのは、現代人の考えが彼に欠けていたからではないのです。
- 取り留め とりとめ (谈话等的)要点,要领。 上野から帰った晩は、私に取って比較的安静な夜でした。私はKが室へやへ引き上げたあとを追い懸けて、彼の机の傍に坐り込みました。そうして取り留めもない世間話をわざと彼に仕向けました。
- 連想 れんそう 联想。随着某个观念,头脑中浮现出与其相关联的其他观念,亦指该观念。 ふとそこに気のついた私は突然彼の用いた「覚悟」という言葉を連想し出しました。
44
- 果断 かだん Kの果断に富んだ性格は私によく知れていました。
- 色を失う 大惊失色,惊慌失色。 ところが「覚悟」という彼の言葉を、頭のなかで何遍も咀嚼しているうちに、私の得意はだんだん色を失って、しまいにはぐらぐら揺(うご)き始めるようになりました。
- 発揮 はっき 果断に富んだ彼の性格が、恋の方面に発揮されるのがすなわち彼の覚悟だろうと一図に思い込んでしまったのです。
- 事を運ぶ (按计划)办事。 私はKより先に、しかもKの知らない間に、事を運ばなくてはならないと覚悟を極めました。
- 仮病 けびょう 假病,装病。 一週間の後(のち)私はとうとう堪え切れなくなって仮病を遣(つか)いました。
- 調子を合わせる 随声附和,顺应,配合。 私に調子を合わせています。
- 渋る しぶる 不流畅。不畅旺。进展不顺利。发涩。 不肯。不痛快。不爽快。不情愿。 奥さんの調子はまるで私の気分にはいり込めないような軽いものでしたから、私は次に出すべき文句も少し渋りました。
45
- 頓着 とんじゃく 放在心上,介意,在意。 一度いい出した私は、いくら顔を見られても、それに頓着などはしていられません。
- 問答 もんどう それからまだ二つ三つの問答がありましたが、私はそれを忘れてしまいました。
- 且つ かつ 且。边…边…。并且。既…又…。 話は簡単でかつ明瞭に片付いてしまいました。 おどろき、且つまた喜ぶ。
- 沢山 たくさん 充分。(十分なさま。) 親類に相談する必要もない、後から断ればそれで沢山だといいました。
- 拘泥 こうでい んな点になると、学問をした私の方が、かえって形式に拘泥するくらいに思われたのです。
- わけもない 容易,简单。(たやすい。容易だ。訳はない) 訳ない わけない 简单的,容易的。 自分の室へ帰った私は、事のあまりに訳もなく進行したのを考えて、かえって変な気持になりました。
- 通じる つうじる 使(对方)理解,告知。将自己的心情或想法等告诉对方。 私は午頃また茶の間へ出掛けて行って、奥さんに、今朝の話をお嬢さんに何時いつ通じてくれるつもりかと尋ねました。
46
- 冷やかす ひやかす 冷却,使……凉。嘲弄,戏弄,嘲笑,开玩笑,愚弄。 只询价不买。 いつも古本屋をひやかすのが目的でしたが、その日は手摺(てずれ)のした書物などを眺める気が、どうしても起らないのです。 店を冷やかして歩いた。
- 我知らず われしらず 不知不觉地,无意识地,不由得。 その上私は時々往来の真中で我知らずふと立ち留まりました。
- 歪 いびつ 椭圆(だ円)。压扁,扁瘪,走型,变形。 いびつな円を描えがいたともいわれるでしょうが、私はこの長い散歩の間ほとんどKの事を考えなかったのです。
- 復活 ふっかつ Kに対する私の良心が復活したのは、私が宅の格子(こうし)を開けて、玄関から坐敷へ通る時、すなわち例のごとく彼の室を抜けようとした瞬間でした。
- 食い止める 防止住;挡住;阻止住;拦住。 しかし奥には人がいます。私の自然はすぐそこで食い留められてしまったのです。そうして悲しい事に永久に復活しなかったのです。
47
- すっぱ抜く すっぱぬく 揭发(隐私),揭露,暴露。 どこか男らしい気性を具(そな)えた奥さんは、いつ私の事を食卓でKに素ぱ抜かないとも限りません。
- 至難 しなん 极难,最难。 しかし倫理的に弱点をもっていると、自分で自分を認めている私には、それがまた至難の事のように感ぜられたのです。
- 拵え事 こしらえごと 捏造的事,虚构的事。 といって、拵え事を話してもらおうとすれば、奥さんからその理由を詰問(きつもん)されるに極きまっています。
- 一分一厘 いちぶいちりん 一分一厘,丝毫。 結婚する前から恋人の信用を失うのは、たとい一分一厘でも、私には堪え切れない不幸のように見えました。
- 滑らす すべらす 使滑走。 口を滑らす。 滑る すべる 滑行。滑动。站不住脚。打滑。不及格。没考上。说漏嘴。(思わず言う。) 要するに私は正直な路(みち)を歩くつもりで、つい足を滑らした馬鹿ものでした。 しかし立ち直って、もう一歩前へ踏み出そうとするには、今滑った事をぜひとも周囲の人に知られなければならない窮境(きゅうきょう)に陥ったのです。
- 立ち竦む たちすくむ 惊呆,呆立不动。 私はこの間に挟まってまた立た竦みました。
- 平生 へいぜい 平日,平素,平时。 あなたもよくないじゃありませんか。平生あんなに親しくしている間柄だのに、黙って知らん顔をしているのは。
- 塞がる ふさがる 奥さんの前に坐っていた私は、その話を聞いて胸が塞るような苦しさを覚えました。
48
- 暗示 あんじ 暗示,示意。不直接明了地表示,而是暗中示意令人领会。 私は暗示を受けた人のように、床の上に肱(ひじ)を突いて起き上がりながら、屹(きっ)とKの室を覗きました。
- 世間体 せけんてい 面子,体面。 固より世間体の上だけで助かったのですが、その世間体がこの場合、私にとっては非常な重大事件に見えたのです。
- 薄志弱行 はくしじゃっこう 意志が弱く,決断力に欠けること。 手紙の内容は簡単でした。そうしてむしろ抽象的でした。自分は薄志弱行で到底行先の望みがないから、自殺するというだけなのです。
- あっさり 朴素,不花哨;(口味)清淡;(性格)坦率,淡泊。 それから今まで私に世話になった礼が、ごくあっさりとした文句でその後に付け加えてありました。
- 痛切 つうせつ 深切;迫切。 しかし私のもっとも痛切に感じたのは、最後に墨(すみ)の余りで書き添(そ)えたらしく見える、もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろうという意味の文句でした。
- 血潮 ちしお 鲜血,涌出的血。 血潮に染まる
49
- 折々 おりおり 随时,时时。时常,常常。(時々。時たま。) それから時計を折々見ました。
- 埒が明かない らちがあかない 事情没有着落,得不到解决。 その時の時計ほど埒の明かない遅いものはありませんでした。
- 寝巻き ねまき 睡衣。 普段着 不断着 ふだんぎ 日常穿的衣服。便服。 羽織 はおり (和服)短外罩,外褂。穿在长和服外面的短衣服。翻领,在胸部系带。 奥さんは寝巻の上へ不断着の羽織を引っ掛けて、私の後に跟いて来ました。
- 飛んだ とんだ 意想不到的,想象不到,想不到,没想到;意外的。严重;不可挽回的。 そうして奥さんに飛んだ事ができたと小声で告げました。
- 手を突く てをつく (双手触地)道歉,恳求。 その時私は突然奥さんの前へ手を突いて頭を下げました。
- 懺悔 ざんげ つまり私の自然が平生の私を出し抜いてふらふらと懺悔の口を開かしたのです。
- 不慮 ふりょ 意外,不测。 蒼い顔をしながら、「不慮の出来事なら仕方がないじゃありませんか」と慰めるようにいってくれました。
50
- 汚れる よごれる 脏了。 後始末 あとしまつ 清理;收拾,拾掇。善后。 彼の血潮の大部分は、幸い彼の蒲団(ふとん)に吸収されてしまったので、畳はそれほど汚れないで済みましたから、後始末は[#「後始末は」は底本では「後始未は」]まだ楽でした。
- 生前 せいぜん 生前。 お嬢さんにはKの生前について語るほどの余裕がまだ出て来なかったのです。 近辺 きんぺん 近处,近旁,附近。 私は彼の生前に雑司ヶ谷(ぞうしがや)近辺をよくいっしょに散歩した事があります。
51
- 葬式 そうしき Kの葬式の帰り路に、私はその友人の一人から、Kがどうして自殺したのだろうという質問を受けました。
- 箇所 かしょ (特定的)地方,部分。 私は歩きながらその友人によって指し示された箇所を読みました。
- 間も無く まもなく 不久,一会,不大工夫。 私が今おる家へ引っ越したのはそれから間もなくでした。
- 外側 そとがわ 外侧,外面,外边。 外側から見れば、万事が予期通りに運んだのですから、目出度(めでたい)といわなければなりません。
- 導火線 どうかせん 奥さんもお嬢さんもいかにも幸福らしく見えました。私も幸福だったのです。けれども私の幸福には黒い影が随ついていました。私はこの幸福が最後に私を悲しい運命に連れて行く導火線ではなかろうかと思いました。
- 合掌 がっしょう 妻はその前へ線香と花を立てました。二人は頭を下げて、合掌しました。
- 白骨 はっこつ 。私はその新しい墓と、新しい私の妻と、それから地面の下に埋(うず)められたKの新しい白骨とを思い比べて、運命の冷罵(れいば)を感ぜずにはいられなかったのです。私はそれ以後決して妻といっしょにKの墓参りをしない事にしました。
52
- 亡友 ぼうゆう 私の亡友に対するこうした感じはいつまでも続きました。
- 一転 いってん 一变,一转,突然一变。 情勢が一転する。
- 朝夕 あさゆう ところがいよいよ夫として朝夕妻と顔を合せてみると、私の果敢(はか)ない希望は手厳しい現実のために脆くも破壊されてしまいました。
- 駆逐 くちく 私はこの不安を駆逐するために書物に溺れようと力めました。
- 公 おおやけ 政府,官厅;国家。公开。 公にする。公开;公布;发表;出版。 そうしてその結果を世の中に公にする日の来るのを待ちました。
53
- 浅薄 せんぱく 方便 ほうべん 权宜办法,临时手段。 この浅薄な方便はしばらくするうちに私をなお厭世的にしました。
- ぽろぽろ 扑簌簌。纷纷。眼泪等粒状物散落貌。 私は時々妻に詫まりました。それは多く酒に酔って遅く帰った翌日の朝でした。妻は笑いました。あるいは黙っていました。たまにぽろぽろと涙を落す事もありました。
- うちやる そのままにしておく。うっちゃっておく。捨てておく。 仕方がないから書物を読みます。しかし読めば読んだなりで、打ち遣って置きます。
- 寂寞 せきばく 理解させる手段があるのに、理解させる勇気が出せないのだと思うとますます悲しかったのです。私は寂寞でした。
- 処決 しょけつ (明确、果断地)处理,处置。(下定)决心。 私はしまいにKが私のようにたった一人で淋しくって仕方がなくなった結果、急に所決したのではなかろうかと疑い出しました。そうしてまた慄としたのです。私もKの歩いた路を、Kと同じように辿っているのだという予覚が、折々風のように私の胸を横過(よこぎ)り始めたからです。
- しかし腹の底では、世の中で自分が最も信愛しているたった一人の人間すら、自分を理解していないのかと思うと、悲しかったのです。
54
- 診断 しんだん その内妻の母が病気になりました。医者に見せると到底癒らないという診断でした。
- 懇切 こんせつ 恳切,诚恳,详细,绵密。 私は力の及ぶかぎり懇切に看護をしてやりました。
- ひねくれる 歪曲,别扭。 恨む うらむ 怨,恨,抱怨。 私が不断からひねくれた考えで彼女を観察しているために、そんな事もいうようになるのだと恨みました。
- 鞭打ち むちうち 鞭打;笞刑。鞭策,鞭挞。 私はその感じのために、知らない路傍(ろぼう)の人から鞭うたれたいとまで思った事もあります、こうした階段を段々経過して行くうちに、人に鞭うたれるよりも、自分で自分を鞭うつべきだという気になります。
- 暗黒 あんこく しかし私のもっている一点、私に取っては容易ならんこの一点が、妻には常に暗黒に見えたらしいのです。
- 私は仕方がないから、死んだ気で生きて行こうと決心しました。
55
- 外界 がいかい 死んだつもりで生きて行こうと決心した私の心は、時々外界の刺戟で躍り上がりました。
- 萎れる しおれる 枯萎,蔫。沮丧,气馁,意志消沉。 がっかりして萎れる。
- 曲折 きょくせつ 弯曲,曲折。错综复杂。 波瀾(はらん)も曲折もない単調な生活を続けて来た私の内面には、常にこうした苦しい戦争があったものと思って下さい。
- 手荒 てあら 蛮横,粗暴。 妻にすべてを打ち明ける事のできないくらいな私ですから、自分の運命の犠牲として、妻の天寿(てんじゅ)を奪うなどという手荒な所作は、考えてさえ恐ろしかったのです。
- 宿命 しゅくめい 回り合せ まわりあわせ 自然にそうなること。運命。めぐりあわせ。 私に私の宿命がある通り、妻には妻の廻り合せがあります、二人を一束(ひとたば)にして火に燻(く)べるのは、無理という点から見ても、痛ましい極端としか私には思えませんでした。
- 引きずる ひきずる 拖,拉,拽。强拉硬拽。 私は妻のために、命を引きずって世の中を歩いていたようなものです。
56
- 時勢 じせい 时势,时代趋势,时务。 推移 すいい 推移;变迁;演进,发展。 私に乃木さんの死んだ理由がよく解わからないように、あなたにも私の自殺する訳が明らかに呑み込めないかも知れませんが、もしそうだとすると、それは時勢の推移から来る人間の相違だから仕方がありません。
- 叙述 じょじゅつ 私は私のできる限りこの不可思議な私というものを、あなたに解らせるように、今までの叙述で己れを尽したつもりです。
- 徒労 とろう 徒劳,白费劲。 徒労に終わる。
- 供する きょうする 供,提供。 私は私の過去を善悪ともに他の参考に供するつもりです。しかし妻だけはたった一人の例外だと承知して下さい。私は妻には何にも知らせたくないのです。妻が己れの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存しておいてやりたいのが私の唯一の希望なのですから、私が死んだ後でも、妻が生きている以上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、すべてを腹の中にしまっておいて下さい。
2022年6月17日读毕
此文章版权归Kisugi Takumi所有,如有转载,请註明来自原作者